平野勝之 (ゴルファー)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/12 18:03 UTC 版)
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基本情報 | ||||
生誕 | 1944年1月22日 | |||
国籍 | ![]() |
平野 勝之(ひらの かつゆき、1944年1月22日 - )は、日本のプロゴルファー。
来歴
1967年の西日本オープンでは柳田勝司・西宮辰幸・上田鉄弘・藤井義将・細石憲二を抑えて中部銀次郎の2位[1]、西日本サーキットBSシリーズでは8位に入り、長崎シリーズでは木本与・石井裕士・新井進・杉原輝雄・宮本省三・今田慶之助・河野高明・細石・海野憲二を抑えて優勝[2]。
1967年には澤田芳男(熊本大学名誉教授)が高速度カメラを使ってプロゴルファーの動作分析を行ったが、平野が最初の対象選手となった[3]。
1971年のブリヂストントーナメントでは10位[2]に入り、1972年のアジアサーキットではフィリピンオープンで郭吉雄(中華民国)、フランク・フィリップス(オーストラリア)、G.ウォルス・テンフォルム(イングランド)と並んでの10位タイ[4]、マレーシアオープンで謝敏男(中華民国)と並んでの10位タイ[5]、台湾オープンではウォルター・ゴドフリー(ニュージーランド)と並んでの10位タイ[6]に入った[7]。
1973年の第1回KBCオーガスタでは今井昌雪・石井裕・宮本省三・村上隆、ブライアン・ジョーンズ(オーストラリア)、吉川一雄と並んでの7位タイに入った[8]。
1975年のダンロップフェニックストーナメントでは初日に石井裕・川上実・野口英雄・新井規矩雄・内田繁、セベ・バレステロス(スペイン)、許勝三(中華民国)・橘田光弘と並んでの6位タイでスタートした[9]。
1976年のサントリーオープンでは初日を青木功・上野忠美・原政雄・矢部昭・謝敏・郭吉、ミヤ・アエ(ビルマ)、ロジャー・モルトビー&オービル・ムーディ&ロン・ヒンクル(アメリカ)と共に69をマークして9位タイでスタートし[10]、2日目も青木・アエと共に小林富士夫・宮本省と並んでの9位タイ[11]に着けた。
1978年の静岡オープンでは初日に陳健振&呂良煥(中華民国)・栗原孝・青木・森憲二と並んでの3位タイ[12]でスタートし、中部オープンでは最終日に65をマークして井上幸一・鈴村久・石井秀夫に次ぐ4位[13]に入った。
1978年の日本プロでは川波通幸・山本善隆と共に[14] [15]2日目には鷹巣南雄・草柳良夫・横島由一[14]、3日目には小林・森本俊治[15]と並んで2日連続10位タイ[14] [15]に着けた。
1980年の中部オープンでは2日目に69をマークして5位に着け[16]、1987年の関西オープン[17]を最後にレギュラーツアーから引退。
2001年からは大阪学院大学ゴルフ部監督に就任し[18]、後に総監督も務め[19] [20]、在任中は関西学生1部リーグ9連覇と全国大学対抗戦2位1回(2012年)・3位2回(2013年, 2014年)[21]に導いた。
主な優勝
- 1967年 - 西日本サーキット長崎
脚注
- ^ “【伝説の名勝負。ヒーローの足跡】門司ゴルフ倶楽部。アマ中部銀次郎がプロを破った1967年、西日本オープン「前編」”. golfdigest-play.jp. 2024年7月12日閲覧。
- ^ a b “「BSCCの歴史」ブリヂストンカンツリー倶楽部公式ウェブサイト”. 2024年5月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年11月28日閲覧。
- ^ “学会ニュース”. golf-gakkai.jp. 2024年7月12日閲覧。
- ^ 日刊スポーツ昭和47年2月28日「ビッグ・杉本 よみがえる フィリピンオープン〈最終日〉」
- ^ 日刊スポーツ昭和47年3月13日「“第三の王者”に村上 初優勝 マレーシアオープン〈最終日〉」
- ^ 日刊スポーツ昭和47年4月10日「“春男”安田が復活 プレーオフ 郭をうっちゃる」
- ^ “【日本男子の海外挑戦記・昭和編㉗】1972年極東サーキットで人気の尾崎将司と和製ビッグ3の意地”. facebook.com. 2025年3月27日閲覧。
- ^ 朝日新聞縮刷版p923 昭和48年8月27日朝刊19面「22アンダー青木優勝 賞金獲得額、100万円超す KBCゴルフ」
- ^ 朝日新聞縮刷版p893 昭和50年11月28日朝刊17面「グリーンがリード 安田・尾崎・宮本ら追う フェニックス・ゴルフ第一日」
- ^ 朝日新聞縮刷版p315 昭和51年9月10日朝刊17面「マーシュまず首位 サントリー・ゴルフ」
- ^ 朝日新聞縮刷版p351 昭和51年9月11日朝刊17面「マーシュが首位を堅持 サントリー・ゴルフ第二日」
- ^ 毎日新聞縮刷版p703 昭和53年6月23日朝刊19面「韓長相リード 静岡オープンゴルフ第一日」
- ^ 毎日新聞縮刷版p475 昭和53年7月16日朝刊19面「井上幸一が初優勝 中部オープンゴルフ最終日」
- ^ a b c 毎日新聞縮刷版p512 昭和53年8月19日朝刊14面「新井がトップ 青木は二位 尾崎兄は後退 日本プロゴルフ選手権第2日」
- ^ a b c 毎日新聞縮刷版p545 昭和53年8月20日朝刊19面「尾崎、トップ奪う 日本プロゴルフ選手権第3日」
- ^ 朝日新聞縮刷版p1021 昭和55年9月27日朝刊17面「青木、川田と並ぶ 関東 中四国 アマ倉本首位走る オープンゴルフ」
- ^ “平野 勝之選手 年度別大会成績 - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site”. www.jgto.org. 2024年7月12日閲覧。
- ^ “沿革 / 大阪学院大学ゴルフ部公式HP”. www.ogu.ac.jp. 2024年7月12日閲覧。
- ^ “ゴルフ学生女王・大堀薫、プロへの道「ピン狙い」”. www.nikkei.com. 2024年7月12日閲覧。
- ^ “「ローアマ?いや優勝を狙えるよ」師匠が語る大堀裕次郎”. www.golfdigest.co.jp. 2024年7月12日閲覧。
- ^ “ゴルフ部訪問”. decent.grupo.jp. 2024年7月12日閲覧。
外部リンク
- 平野勝之_(ゴルファー)のページへのリンク