川波通幸
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/06 23:09 UTC 版)
Michiyuki KAWANAMI | |
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基本情報 | |
名前 | 川波 通幸 |
生年月日 | 1951年5月12日(73歳) |
国籍 | ![]() |
出身地 | 長野県 |
経歴 |
川波 通幸(かわなみ みちゆき、1951年5月12日 - )は、長野県出身[1]のプロゴルファー。
父はゴルフのレッスンプロで知られた川波義太郎[2]。
来歴
法政大学卒業後[2]の1977年にプロ入りし[1] [3]、1978年の日本プロでは平野勝之・山本善隆と共に[4] [5]2日目には鷹巣南雄・草柳良夫・横島由一[4]、3日目には小林富士夫・森本俊治[5]と並んで2日連続10位タイ[4] [5]に着けた。
1980年のブリヂストンオープンでは初日に後半で3連続バーディーを2度繰り返す31の好スコアを出し、前半4アンダーで飛ばしたべテランの橘田規を抜き去り、6アンダー66で首位に立つ[6]。周囲からは「流石に仕込みが違う」と言われたが[2]、自身は落ち着かず[2]、2日目には2つのダブルボギーを叩くなど80と崩れ[7]、最終的には40位以下に終わった[2]。
1981年の関東オープンでは湯原信光・新井規矩雄・青木功・小林富士夫・謝永郁(中華民国)・菊地勝司に次ぎ、鷹巣南雄と並んでの7位タイ[8]に入った。
1982年には三菱ギャランで10位[2]、日本プロでは羽川豊・新井・時田陽充・青木基正と並んでの10位タイ[9]に入り、11試合で予選落ちを3度に抑える好調ぶり[2]であった。続く関東プロでは初日にインから出て2連続バーディーで波に乗り、グリーンを外したのは3ホールだけで、5m、8mのパットを決めるなど、6バーディー、1ボギーの5アンダー67で首位スタートを決める[2]。芝を読んだ通りにパットが打て、ショットの距離感を掴んだのがベストスコア67に繋がったが[2]、2日目は中村俊明・森憲二と並んでの5位タイ[10]とした。
1984年の栃木オープンでは高橋五月を抑えると同時に町野治とのプレーオフの末に2位[11]、1985年の第1回水戸グリーンオープンで杉谷博美・稲垣太成を抑えて丸山智弘の2位[12]に入り、1989年の関東プロ[13]を最後にレギュラーツアーから引退。
現在は栃木県栃木市のサンランド栃木でゴルフレッスンを担当するほか、高橋完・植田浩史と共に栃木県プロゴルフ会メンバー[14]。
脚注
- ^ a b “川波 通幸 カワナミ ミチユキ MICHIYUKI KAWANAMI”. www.smile-pga.jp. 2024年2月24日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i 朝日新聞縮刷版p1126 昭和57年7月30日朝刊16面「川波が初日首位 2位に羽川ら 関東プロゴルフ」
- ^ “ゴルフ練習場|サンランド栃木では気軽にゴルフをお楽しみ頂けます。”. xn--vckxb9erbb7734f1ib.com. 2024年2月24日閲覧。
- ^ a b c 毎日新聞縮刷版p512 昭和53年8月19日朝刊14面「新井がトップ 青木は二位 尾崎兄は後退 日本プロゴルフ選手権第2日」
- ^ a b c 毎日新聞縮刷版p545 昭和53年8月20日朝刊19面「尾崎、トップ奪う 日本プロゴルフ選手権第3日」
- ^ 朝日新聞縮刷版p937 昭和55年10月24日朝刊17面「川波が初日リード ブリヂストン・ゴルフ」
- ^ 朝日新聞縮刷版p987 昭和55年10月25日朝刊17面「中島一気にリード奪う ブリヂストン・ゴルフ」
- ^ “【伝説の名勝負。ヒーローの足跡】烏山城カントリークラブ。青木功が湯原に送ったアドバイス「勝ち方を身につけろ」1981年関東オープン”. golfdigest-play.jp. 2024年2月24日閲覧。
- ^ “第50回日本プロゴルフ選手権(1982年)”. www.golfdendou.jp. 2024年2月24日閲覧。
- ^ 朝日新聞縮刷版p1168 昭和57年7月31日朝刊18面「謝、一気に首位へ 関東プロゴルフ」
- ^ 朝日新聞縮刷版p460 昭和59年7月12日朝刊16面
- ^ “【公式】水戸グリーンカントリークラブ”. www.mgcc.jp. 2024年2月24日閲覧。
- ^ “川波 通幸選手 年度別大会成績 - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site”. www.jgto.org. 2024年2月24日閲覧。
- ^ “栃木県プロゴルフ会:メンバー紹介”. www.pga-tochigi.com. 2024年2月24日閲覧。
外部リンク
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