常陸国の佐藤氏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/10 03:32 UTC 版)
常陸佐藤氏は久慈郡増井村正宗寺に佐藤系図が所蔵されるという。常陸太田城主の家系に藤原千常を祖とする、佐藤氏があった。佐藤氏郷の代に、常陸源氏の佐竹昌義の侵攻を受け、太田城を追われた。ただし、子孫は族滅を免れ、久慈郡下野宮をはじめ郡内に土着する。また、東鑑によれば建暦年間、佐藤光季という者が常陸国に所領を得たとある。さらに、新編国史には多珂郡宮田村に、永禄(1558年から1570年)、天正(1573年から1592年)の頃、佐藤壱岐という武将がおり、藤原氏の流れで佐竹氏の重臣小野崎義昌に仕えて武功があったとされる。家紋は丸に上がり藤、丸に梅鉢、源氏車、扇に源氏車、六桁源氏車、丸に三つ柏、丸に釘抜き、丸に剣花菱、丸に州浜、丸に橘、丸に蔦、丸に八桁水車、丸に三つ引、丸に抱き茗荷、丸に木瓜、丸に四つ目。
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