〒710-0811 岡山県倉敷市川入
川入
川入
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 06:30 UTC 版)
上記大内の東側に位置する。 古代から中世は、阿知の海(阿知の潟)と呼ばれる海域であったとされる。中世後期の天正13年、岡山城主・宇喜多秀家の老臣であった岡豊前守が干拓して新田開発し、川入村と称した。地名は、当時の高梁川が、現在の総社市清音古地あたりで東西に分岐していたが、干拓によってその東流が現在の倉敷市酒津あたりで再び東西に分岐するようになり、その東派川の河口付近に当地が位置したことに由来しているとされる。 江戸時代になると、慶長5年に幕府領となり、続いて元和年間には相給地となり、一部は備前岡山藩領、一部は旗本長谷川氏の所領となる。 明治10年に、大内・川入・八王子・大内・日吉庄の各村が合併し富久村(とみひさそん)となった。明治以降の合併で、万寿村・倉敷町を経て旧倉敷市となったとき、南部を分割して寿町を設けた。 現在は大内同様、宅地化が進展し、大型幹線道路開通により、ロードサイド店舗も多く立地する。
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