嶋田潤
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| 嶋田潤 | |
|---|---|
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| 基本情報 | |
| 国籍 | |
| 出身地 | 東京都 (北海道三石郡三石町 (現・日高郡新ひだか町)生まれ) |
| 生年月日 | 1949年3月26日(76歳) |
| 騎手情報 | |
| 所属団体 | 日本中央競馬会(JRA) |
| 所属厩舎 | 東京→美浦・藤本冨良(1970年 - 引退) |
| 初免許年 | 1970年3月1日 |
| 免許区分 | 平地 |
| 騎手引退日 | 1985年2月28日 |
| 重賞勝利 | 5勝 |
| 通算勝利 | 2187戦231勝 |
| 調教師情報 | |
| 初免許年 | 1989年3月1日(1990年開業) |
| 調教師引退日 | 2014年3月31日 |
| 重賞勝利 | 交流重賞1勝 |
| 通算勝利 | 205勝(中央)、7勝(地方) |
| 経歴 | |
| 所属 | 美浦・佐藤全弘厩舎調教助手(1985 - 1988) |
嶋田 潤(しまだ じゅん、1949年3月26日 - )は、東京都出身(北海道三石郡三石町 (現・日高郡新ひだか町)生まれ)の元騎手・元調教師。
同じく元騎手・元調教師の嶋田功は実兄[1]。元騎手で現調教助手の嶋田高宏は長男。
来歴
嶋田家は福井県からの入植で、父・福栄が入植三代目であり、男3人女7人の10人兄弟であった[2]。
実家は後にプレクラスニー・タイセイアトムを輩出した「嶋田牧場」で、嶋田が育った時には馬だけではなく牛や羊も飼っていたが、長男の克昭の代からサラブレッドの生産牧場となった[2]。
1966年に東京・藤本冨良厩舎に騎手候補生として入門し、1970年に同厩舎からデビューすると、兄・功の登録名が戸籍通りに「嶋田」となっている[3]。
1年目の1970年には3月1日の東京第1競走4歳未勝利・スピリットアニー(13頭中3着)で初騎乗[4]を果たし、5月9日の東京第1競走4歳以上100万下・カツウメで初勝利[5]を挙げる。天皇賞(秋)が行われた11月29日の東京では天皇賞の前の第8競走4歳以上300万下をマキノスズカゼで勝利し[6]、12月27日の中山最終第11競走4歳以上100万下・イラプションで同年の関東地区最後のレースを勝利[7]するなど、1年目は7勝[8]をマーク。
3年目の1972年には5月27日・28日の中山で初の2日連続勝利[9]を記録したほか、秋の福島では11月4日に初の1日3勝[9]、11月11日の初の1日2勝[9]を記録するなど9勝[10]を挙げ、初の2桁勝利となる19勝[8]をマーク。
1973年のデビューから1975年の引退までエクセルラナーの主戦騎手を務め[11]、1973年の朝日杯3歳ステークスでは5連勝中のカーネルシンボリ[12]やサクライワイに先着する3着[13]に入る[11]。1974年には東京優駿でコーネルランサーの5着[11]と健闘し、ステイヤーズステークスで人馬共に重賞初勝利[11] [14]を挙げ、1975年のアメリカジョッキークラブカップではストロングエイトの3着[11]に入った。
1975年の京成杯3歳ステークスではフェアスポートでクライムカイザーを抑えて3連勝での重賞初勝利を挙げ、朝日杯3歳Sでは3着に入った[15]。
1976年には新潟記念で兄・功のお手馬であったタケデンジャガーに代打で騎乗して[16]重賞3勝目[17]を挙げ、フェアスポートではセントライト記念でニッポーキングの2着[15]、テンマオーでは3歳条件戦のいちょう特別でマルゼンスキーの3着、楓賞でプレストウコウの3着、さざんか賞でラッキールーラの2着に入った[18]。
1979年から1984年には7年連続2桁勝利[8]を記録し、1979年にはホオカノで新潟記念2勝目[16]を挙げるなど初の20勝台となる21勝[8]をマーク。
1980年にはラジオたんぱ賞・インターグランプリで皐月賞馬ハワイアンイメージの2着[19]に入り、アローエクスプレス産駒キンセイパワーで重賞になる直前の新潟3歳ステークスを勝利[20]。
1981年にはキンセイパワーでカブトヤマ記念をハナ、ハナの接戦を制して[21]同馬唯一の重賞勝利[20]、管理する清水利章厩舎に重賞初勝利[22]をもたらすが、自身は最後の重賞勝利[23]となった。
1982年にはキンセイパワーで新潟記念・カブトヤマ記念3着[20]、1983年にはナンキンリュウエンで新潟大賞典・福島記念3着[24]に入った。
1984年には金杯(東)・ナンキンリュウエンでドウカンヤシマの3着[24]、カブトヤマ記念でもアローコンコルドで3着[25]に入り、自己最多の27勝[8]をマーク。
1985年2月17日の東京第9競走うぐいす賞・シュンアローが最後の勝利となり、同24日の中山第7競走4歳400万下・アサニッポン(11頭中10着)を最後に現役を引退[26]。
引退後は佐藤全弘厩舎の調教助手となり、1989年に調教師試験に合格、翌1990年に厩舎を開業した。
2010年3月13日2回中山競馬5日第1競走3歳未勝利をテンエイエスプリで勝利し、JRA通算200勝を達成した[27]。
2014年3月31日をもって調教師を勇退、中央競馬通算3965戦205勝[28]。地方競馬通算137戦7勝。
騎手成績
| 通算成績 | 1着 | 2着 | 3着 | 騎乗数 | 勝率 | 連対率 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 平地 | 231 | 222 | 245 | 2187 | .106 | .207 |
| 日付 | 競馬場・開催 | 競走名 | 馬名 | 頭数 | 人気 | 着順 | |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 初騎乗 | 1970年3月1日 | 3回東京4日1R | 4歳未勝利 | スピリットアニー | 13頭 | 5 | 3着 |
| 初勝利 | 1970年5月9日 | 4回東京1日1R | 4歳以上100万下 | カツウメ | 6頭 | 2 | 1着 |
| 重賞初騎乗 | 1973年5月13日 | 3回東京8日9R | アルゼンチンジョッキークラブカップ | ダイニカツハル | 11頭 | 11 | 6着 |
| 重賞初勝利 | 1974年12月22日 | 5回中山8日10R | ステイヤーズステークス | エクセルラナー | 9頭 | 2 | 1着 |
| GI級初騎乗 | 1973年12月9日 | 5回中山4日10R | 朝日杯3歳ステークス | エクセルラナー | 10頭 | 9 | 3着 |
主な騎乗馬
- エクセルラナー(1974年ステイヤーズステークス)
- フェアスポート(1975年京成杯3歳ステークス)
- タケデンジャガー(1976年新潟記念)
- ホオカノ(1979年新潟記念)
- キンセイパワー(1981年カブトヤマ記念)
調教師成績
| 日付 | 競馬場・開催 | 競走名 | 馬名 | 頭数 | 人気 | 着順 | |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 初出走 | 1990年3月10日 | 2回中山5日1R | アラ系3歳上オープン | オオイダジョウ | 10頭 | 5 | 7着 |
| 初勝利 | 1990年4月22日 | 2回東京2日1R | 3歳未勝利 | セントサクソン | 11頭 | 4 | 1着 |
| 重賞・G1初出走 | 1990年5月13日 | 2回東京8日10R | 安田記念 | イズミサンシャイン | 16頭 | 12 | 12着 |
主な管理馬
- ケントニーオー (1994年東京新聞杯2着、1997年小倉大賞典2着)
- フェイマスケイ(1998年CBC賞3着)
- セタノキング(1999年さきたま杯)
- ヨシサイバーダイン(2002年新潟2歳ステークス2着)
- ライトパシフィック(2004年新潟ジャンプステークス2着、2005年新潟ジャンプステークス3着)
主な厩舎所属者
※太字は門下生。括弧内は厩舎所属期間と所属中の職分。
- 小島良太(1994年-1995年 調教厩務員)
- 小笠倫弘(1999年-2005年 調教助手)
- 大庭和弥(2001年-2005年 騎手)
- 菊池憲太(2007年-2008年 騎手)
- 内田博幸(2008年-2011年 騎手)
脚注
- ^ “嶋田潤師が勇退、今週でラスト 25年間の調教師生活に別れ”. www.sponichi.co.jp (2014年3月27日). 2020年8月21日閲覧。
- ^ a b 江面弘也「昭和の名騎手」三賢社、2020年4月30日、ISBN 4908655162、p135
- ^ “伝説のジョッキー 第9回 不屈のオークス男 嶋田功”. 2014年7月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年10月27日閲覧。
- ^ “嶋田潤の騎手成績|競馬データベース - netkeiba.com”. netkeiba.com. 2025年10月27日閲覧。
- ^ “嶋田潤の騎手成績|競馬データベース - netkeiba.com”. netkeiba.com. 2025年10月27日閲覧。
- ^ “1970年11月29日のレース情報”. netkeiba.com. 2025年10月27日閲覧。
- ^ “1970年12月27日のレース情報”. netkeiba.com. 2025年10月27日閲覧。
- ^ a b c d e “嶋田潤”. netkeiba.com. 2025年10月27日閲覧。
- ^ a b c “嶋田潤の騎手成績|競馬データベース - netkeiba.com”. netkeiba.com. 2025年10月27日閲覧。
- ^ “嶋田潤の騎手成績|競馬データベース - netkeiba.com”. netkeiba.com. 2025年10月27日閲覧。
- ^ a b c d e “エクセルラナー”. netkeiba.com. 2025年10月27日閲覧。
- ^ “競馬かわらVAN(リレーコラム)第89回 心に残る名馬たち No.15 カーネルシンボリ”. 2010年11月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年10月27日閲覧。
- ^ “3歳ステークス|1973年12月9日”. netkeiba.com. 2025年10月27日閲覧。
- ^ “嶋田潤の騎手成績|競馬データベース - netkeiba.com”. netkeiba.com. 2025年10月27日閲覧。
- ^ a b “フェアスポート (Fair Sport)”. netkeiba.com. 2025年10月27日閲覧。
- ^ a b “ローカル回想記 79年新潟記念馬ホオカノを振り返る”. 内外タイムス (2007年8月21日). 2007年10月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年10月27日閲覧。
- ^ “嶋田潤の騎手成績|競馬データベース - netkeiba.com”. netkeiba.com. 2025年10月27日閲覧。
- ^ “テンマオー”. netkeiba.com. 2025年10月27日閲覧。
- ^ “インターグランプリ (Inter Grand Prix)”. netkeiba.com. 2025年10月28日閲覧。
- ^ a b c “キンセイパワー (Kinsei Power)”. netkeiba.com. 2025年10月28日閲覧。
- ^ “カブトヤマ記念|1981年10月25日”. netkeiba.com. 2025年10月28日閲覧。
- ^ “清水利章の調教師成績|競馬データベース - netkeiba.com”. netkeiba.com. 2025年10月28日閲覧。
- ^ “嶋田潤の騎手成績|競馬データベース - netkeiba.com”. netkeiba.com. 2025年10月28日閲覧。
- ^ a b “ナンキンリュウエン (Nankin Ryuen)”. netkeiba.com. 2025年10月28日閲覧。
- ^ “アローコンコルド (Arrow Concorde)”. netkeiba.com. 2025年10月28日閲覧。
- ^ “木藤隆行の騎手成績|競馬データベース - netkeiba.com”. netkeiba.com. 2025年10月28日閲覧。
- ^ “【中山1R】嶋田潤師がJRA通算200勝”. www.sponichi.co.jp (2010年3月13日). 2020年8月21日閲覧。
- ^ “嶋田潤調教師、最後の出走「感謝の気持ち」”. サンスポ. (2014年3月30日) 2014年4月7日閲覧。
関連項目
- 嶋田潤のページへのリンク