崇禅寺 (桐生市)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/09/06 02:51 UTC 版)
崇禅寺 | |
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所在地 | 群馬県桐生市川内町二丁目651番地 |
位置 | 北緯36度26分13.8秒 東経139度19分07.9秒 / 北緯36.437167度 東経139.318861度座標: 北緯36度26分13.8秒 東経139度19分07.9秒 / 北緯36.437167度 東経139.318861度 |
山号 | 萬松山 |
宗派 | 臨済宗建長寺派 |
本尊 | 阿弥陀如来 |
創建年 | 元久2年(1205年) |
札所等 | 新上州観音霊場三十三カ所 第三番 |
文化財 | 阿弥陀如来像(群馬県重要文化財) |
公式サイト | 萬松山崇禅寺 |
崇禅寺(そうぜんじ) は、群馬県桐生市川内町二丁目にある臨済宗の寺院である。山号は萬松山。本尊は阿弥陀如来。
毎年1月7日の七草粥会、11月22日・23日の燈花会で知られる。紅葉の名所で、六地蔵紅葉御膳や六地蔵いなりが名物である。境内とその周囲の山林地域は群馬県の緑地環境保全地域。境内のイトヒバは群馬県の天然記念物。
概要
桐生市中西部、小倉山南麓、小倉川西岸の川内町二丁目(旧山田郡川内村西小倉)に所在。小倉川に架かる群馬県道342号川内堤線の鍛冶屋橋と小倉山北東部の桐生自然観察の森との中間地点にあたる。鎌倉時代の元久2年(1205年)、智明(園田成家)によって小倉の地に草庵が開創され、崇禅寺はその草庵の後身の寺であると伝わる[1][2]。
昭和48年(1973年)より、毎年1月7日に七草粥会、1月を除く毎月1日に朝粥会を開催している。11月22日・23日に本尊の夜間参拝・燈花会が行われ、境内の紅葉がライトアップされる[3][4]。寺域付近の字は寺前で、おりひめバス川内線の停留所の名前にもなっている。小倉川東岸の川内町一丁目に、臨済宗の千手寺と東禅寺があり、両寺は崇禅寺とともに園田氏と関わりのある寺院と見られている。
歴史
鎌倉時代、酒長御厨(須永御厨)の荘司であった園田成家が、正治2年(1200年)に京都大番役に出仕。その頃、法然の弟子となり出家、法名を智明と授かる。元久2年(1205年)、上野国に帰った智明が酒長御厨小倉村に庵室を創立。人々は智明坊を小倉の上人と称して尊敬したと伝わる[5][6][7]。
創建当初は浄土宗であったが、南北朝時代の応安3年(1370年)頃、鎌倉建長寺の東伝士啓により、臨済宗の禅寺として開山した。開基は小倉村の豪族園田氏かと考えられている[5][8]。
境内
崇禅寺の境内地は小倉山の南麓に位置し、境内の中央に本堂、東に研修道場・庫裡、南に山門、西に馬頭観音堂、北に阿弥陀堂を配する。
- 本堂・研修道場・庫裏
- 昭和63年(1988年)完成。
- 馬頭観音堂
- 馬頭観音を祀る。新上州観音霊場三十三カ所の第三番。
- 无量庵
- 茶室・洋間・客殿を備える。予約制による懐石料理を提供している。
- 夢違庵
- 観音菩薩を祀る。
脚注
参考文献
- 桐生市史別巻編集委員会 編『桐生市史 別巻』桐生市役所、1971年(昭和46年)
- 平凡社地方資料センター 編『日本歴史地名大系 第10巻 群馬県の地名』 平凡社、1987年(昭和62年)
- 角川日本地名大辞典編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 第10巻 群馬県』 角川書店、1988年(昭和63年)
- ふるさと桐生のあゆみ編集委員会 編『ふるさと桐生のあゆみ』桐生市教育委員会、1998年(平成10年)
関連項目
- 崇禅寺_(桐生市)のページへのリンク