崇禅寺 (土岐市)とは? わかりやすく解説

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崇禅寺 (土岐市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/10 06:04 UTC 版)

崇禅寺 そうぜんじ

観音堂
所在地 岐阜県土岐市妻木町上郷55-1
位置 北緯35度17分59.7秒 東経137度11分40.0秒 / 北緯35.299917度 東経137.194444度 / 35.299917; 137.194444座標: 北緯35度17分59.7秒 東経137度11分40.0秒 / 北緯35.299917度 東経137.194444度 / 35.299917; 137.194444
山号 光雲山
宗派 臨済宗妙心寺派(東海門派)
本尊 聖観世音菩薩
創建年 文和3年(1354年
開山 果山正位
開基 明智頼重
中興年 元和4年(1618年)
中興 清巖
札所等 土岐郡三十三所巡礼十八番
法人番号 6200005008459
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総門

崇禅寺(そうぜんじ)は、岐阜県土岐市妻木町にある臨済宗妙心寺派(東海門派)の寺院。山号は光雲山。

概要・沿革

文和3年(1354年)、土岐頼貞の九男で初代妻木城主となった明智頼重妻木氏の祖)が菩提寺として開基し、臨済宗南禅寺派の虎渓山永保寺三世の果山正位を勧請して開山した。

創建後、二百余年を経過して、寺内がおおいに破損したために、

元和4年5月(1618年)、当時、尾張国熱田に存在した海禅院の第四世の清巖が中興し、一世となった。この時に臨済宗妙心寺派に属した。

寛文11年(1671年)11月、七世の北隠宗秀が開山塔を再興した。

現住 當山 北隠 座元 迂於 果山 陳跡 新建立 乎 開山塔 被遷尊像 次面作焚偈 一章以賀遠太者也 修造功成 新達五縁 大熟寺門昌主 山花矣安 山月易地 皆然吾道場 寛文子壬十二年 二月十九日 前住 當山 物現[1] 叟 賀正

宝暦5年(1755年)に、大鐘 (3月4日改鋳)、小鐘(雲版) (3月15日鋳造)、6月22日に、楼門を改築して小鐘(雲版)を懸け、8月に落成した。

古鐘銘には、以下の文言が記されていた。

日本國 東山道 濃州 可児郡 池田厨内 香積山 法喜禅寺 大工 藤原友宗 大檀越 前 豆州 沙彌 源淨宗 當代 住持 比丘尼 明春 貞治二癸卯年 良月十九日

「光雲山 崇禅寺 鐘楼門の記」には、以下の内容が記されている。

寶暦五年未 二月 同志數輩 謂 予日 當山大鐘 昔以 兵庫之故 形模 甚損 聲音 随唖 諸改造之予 曰 善哉 爲之如何 即 相議 發化主募 十方施期 以來 歳乙亥春 又曰 新鐘 若成 則 舊樓矮小 不堪掛之 乎 彼従 古稱 山門 者久暦星霜 幾廢懐遞代屢 倦修治 不如 山門 寺鐘樓 兼 合成一宇 則後 來或 省修治之勞 歟予 曰 可也 而 巳則命 工匠 議事 採斧時 同年十月也 同志之輩 聚木撰材 搬土域石 不惜身 力夜以 續 日越 乙亥春二月 召 帛氏 於 京師 而 盖剏 鋳鐘之役 鎔蕉鐘 而 新加増 鍋若干 矣 同志之輩 及 村民戮力 助之 大鐘 小鐘 雲版 不日 而 功成 矣 樓門 亦 六月下浣 建焉 八月上浣 大成 盖佛 天所 冥助 天運 所來 至欽 村民 老少男女 無不 随喜 讃嘆 就中 同志之輩 朞年餘 兩般成功 苦心 勵力 採役 扶冀者 匪言語 所可 及 予 不勝 感激之至 同記 其棟 概 而 以聲之云 爾稱 同志者 誰哉 淨林 田中 横井也        

大檀那 妻木氏家門 吉利 子孫繁栄

大鐘、三月四日 成就 石垣、五月下浣 落成

小鐘 雲版 同月十五日 樓門 六月廿ニ日 建

石垣 兩落石 七月十四日 田中半六 寄附

四柱 泉州石工 半七 寄附

大檀那 妻木氏 家門 吉利 子孫繁栄

寶暦五 龍舎 乙亥 六月廿二日 白

現住 沙門 理山宗菊[2] 誌   

江戸時代には、寺領として69石2斗8升6合を有した。

境内

鎌倉時代の建築である総門を通って石段を登って行くと鐘楼門があり、庭が開けて正面に十王堂と観音堂が並び立ち、それに続いて僧堂址がある。

石畳を右に進めば大銀杏の下に勅使門があり、大きな本堂には聖観音菩薩が安置されている。

裏手の丘の石段を登って行くと、妻木氏歴代の廟所があり、並んで位牌堂と奥の院がある。

また観音堂の前を左に進めば、小高い段の上に代々の住持の無縫塔が並んでいる。さらに進めば開山堂があり、果山正位と清岩の木造を安置している。

  • 総門  妻木城士屋敷から移築されたものである。
  • 鐘楼門
  • 本堂  明治31年(1898年)に再建。
  • 開山堂
  • 観音堂
  • 位牌堂
  • 位牌堂への階段
  • 施無畏塔(永代供養塔)
  • 馬頭観音
  • 茶室
  • 臥龍松
  • 花園会館
  • 稲荷神社

塔頭

かつて付近には11箇寺の塔頭(清閑院・聴泉院・長壽院・瑞松院・聴松院・玉窓院・慈徳院・永昌院・正持院・瑞光院・長松院)があったが、今では址のみとなっている。

清閑院

天正10年(1582年)、妻木広忠(清閑院殿一友宗心大居士)の為に建立。

聴泉院

妻木頼安 (聴泉院殿悦渓瑞禅大禅定門)の為に建立。

長壽院

元和6年(1620年)、妻木貞徳 (長壽院殿卜菴宗龜大居士)の為に建立。大正元年(1912年)10月、愛知県東加茂郡旭村笹戸に移転した。

瑞松院

元和9年(1623年)、妻木家頼 (瑞松院殿前長州崑岳宗鐡大居士)の為に建立。五ヶ島の檀那寺で、明治維新前の宗門改帳に記されていた。

聴松院

寛永12年(1635年)、妻木頼忠が、妻の為に建立。

玉窓院

慶長20年(1615年)、妻木広忠が、妻の為に建立。

慈徳院

元亀3年(1572年)、妻木頼安が、妻の為に建立。

永昌院

天文21年(1552年)、妻木広美が、妻の為に創立。

圓光山 大教寺 (八幡院)

字・平森下にあった天台宗圓光山 大教寺 (八幡院)は、神仏混淆であったため、明治維新神仏分離により廃寺となった。

庫裡は、明治6年(1873年)に学校に充てられた。十王堂は、明治8年(1875年) 観音堂となった。鐘楼門は、同年に神明神社の拝殿となった。八幡社僧の観音堂は、明治9年(1876年)に崇禅寺に移した。

文化財

釈迦如来立像[3]、夢窓国師筆果山条幅[4]、紙本墨書此山妙在筆跡[5]等の県指定重要文化財の他、崇禅寺唐門や絹本着色十六善神像等の市指定文化財を多数所蔵[6]している。

末寺

関連項目

参考文献

  • 『土岐郡妻木町史』 第五章 土岐郡妻木町 第十節 寺院 p107~p112 日東泉之進 土岐郡妻木町役場  大正11年
  • 『郷土妻木』 第六章 第二節 崇禅寺 p42~p43 妻木小学校「郷土妻木」編集委員会 昭和36年
  • 『土岐市史 1 (原始時代-関ケ原合戦)』第八編 鎌倉室町時代の宗教概観 第三章 郷土寺院の変遷 一三 光雲山 崇禅寺 p251~p252 土岐市史編纂委員会  1970年
  • 『瑞浪市史 歴史編』 第六編 近世 第五章 文化と信仰(文化宗教史) 第二節 神社と信仰 一 崇禅寺と天猷寺 p1010~p1012 瑞浪市 昭和49年(1974年)
  • 『岐阜県百寺』 崇禅寺 p178~p179 郷土出版社 1987年

関連リンク

脚注

  1. ^ 崇禅寺の中興後の五世
  2. ^ 崇禅寺の中興後の十世
  3. ^ 木造釈迦如来立像”. 岐阜県. 2013年5月12日閲覧。
  4. ^ 夢窓国師筆果山条幅”. 2013年5月13日閲覧。
  5. ^ 紙本墨書此山妙在筆跡”. 2013年5月13日閲覧。
  6. ^ 文化財一覧”. 土岐市 (2012年7月10日). 2013年5月12日閲覧。



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