岡部氏 (小野氏)とは? わかりやすく解説

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岡部氏 (小野氏)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/29 22:12 UTC 版)

岡部氏
十万じゅうまん
本姓 小野朝臣武蔵七党猪俣党支族
家祖 猪俣忠兼
種別 武家
出身地 武蔵国榛沢郡岡部
主な根拠地 武蔵国榛沢郡岡部
支流、分家 内ヶ島氏武家
岡部氏分家(武家)
凡例 / Category:日本の氏族

岡部氏(おかべし)は、日本武家氏族のひとつ。


出自

飛鳥時代小野妹子の子孫で小野篁末裔猪俣党の猪俣忠兼から始まる。

平安時代に、岡部忠綱(猪俣忠兼の子)が武蔵国榛沢郡岡部(現在の埼玉県深谷市岡部)の付近を領有したのが始まりと言われる。

平安時代から鎌倉時代

平安時代末期から鎌倉時代にかけて、岡部忠澄(岡部忠綱の)が源頼朝に従い、平家滅亡後は御家人として奥州藤原氏征伐(奥州合戦)に従軍した。

室町時代

室町時代では足利氏に仕え、足利基氏以降は鎌倉公方の配下にあり、永享の乱の際には岡部景澄が足利持氏とともに自害している。

戦国時代

戦国時代には、岡部忠秀と子の岡部忠吉、孫の岡部吉正は、後北条氏家臣、松田康秀の配下になる。豊臣政権下では、吉正が1593年文禄2年)以降は徳川氏に仕え、関ヶ原の戦い大坂の陣に従軍している。

江戸時代

江戸時代に入り、吉正が関ヶ原の戦いや大坂の陣の功により1500の知行を与えられ徳川家旗本として残り、その際、の忠房と正次もそれぞれ旗本として続いた。

系譜

 小野篁
   ┃
  保衡
   ┃
  忠範
   ┃
  義村
   ┃
  忠時
   ┃
  時仲
   ┃
  時季
   ┃
  孝泰
  ┣━━━━┓
猪俣時資 横山義孝
  ┃
 時範
  ┃
 忠兼
  ┣━━━━━━━━┳━━┓
岡部忠綱      政家 忠基
  ┃     ┏━━┫  ┃
 行忠    政行 資綱 忠家
  ┣━━┓     ┃
 忠澄  行好    範綱
  ┣━━┳━━┓  ┃
 広澄  忠季  景澄 範高
  ┃  ┣━━┓  ┃
 好澄 政直 忠時 景村
  ┃  ┃
 信澄  保重
      ┃
     宗員
      ┃
     仲則
      ┃
     忠貞
      ┃
     忠弘
      ┃
     忠景
      ┃
     景澄
      ┃
     忠邦
      ┃
     憲澄
      ┃
     員忠
      ┃
     忠高
      ┃
     泰忠
      ┃
     忠秀
      ┃
     忠吉
┏━━╋━━┓
吉正  忠房  正次

脚注

関連項目





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