山県 大弐 (やまがた だいに)
1725〜1767 (享保10年〜明和4年) |
【儒学者】 「天に二日なく、民に二主なし」。尊王思想で幕府批判。 |
儒学者。尊王論者。甲斐国生まれ。江戸に出て若年寄大岡忠光に仕えた後、医学・兵学の塾を開く。『柳子新論』を著わし、「天に二日なく、民に二主なし」と尊王論で幕政を批判した。塾での過激な講議内容や尊王論者の藤井右門との交流などから、幕府はその存在を危険視した。後年、謀反の疑いで捕らえられ、処刑された(明和事件)。 |
年(和暦) | ||
●1732年 (享保17年) | ■西日本に蝗害 | 7才 |
●1742年 (寛保2年) | ■公事方御定書制定 | 17才 |
●1744年 (延享元年) | ■神田に天文台設置 | 19才 |
●1764年 (明和元年) | ■江戸大火 | 39才 |
・田沼 意次 | 1720年〜1788年 (享保5年〜天明8年) | +5 |
・平賀 源内 | 1728年〜1779年 (享保13年〜安永8年) | -3 |
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