山口三郎 (陸軍軍人)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 山口三郎 (陸軍軍人)の意味・解説 

山口三郎 (陸軍軍人)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/18 07:09 UTC 版)

山口 三郎
生誕 1884年7月24日
日本 福岡県
死没 (1965-09-18) 1965年9月18日(81歳没)
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1906年 - 1936年
1938年 - 1940年
1945年
最終階級 陸軍少将
テンプレートを表示

山口 三郎(やまぐち さぶろう、1884年明治17年)7月24日[1] - 1965年昭和40年)9月18日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。功三級[2]

経歴

1884年(明治17年)に福岡県で生まれた[1]陸軍士官学校第18期、陸軍大学校第26期卒業[1]1930年(昭和5年)8月1日陸軍歩兵大佐進級と同時に奈良連隊区司令官に着任した[2]1932年(昭和7年)3月11日歩兵第25連隊長(第7師団・歩兵第13旅団[3][4])に転じたが[2]12月7日に第7師団司令部附となり[2]1934年(昭和9年)3月に本郷連隊区司令官に就任した[2]

1935年(昭和10年)8月1日に陸軍少将に進級し[2]、歩兵第22旅団長(第11師団[5][6])に着任[1]1936年(昭和11年)8月1日に待命[1]8月28日予備役に編入された[1]1938年(昭和13年)7月15日に召集され[1]、歩兵第118旅団長(第1軍第109師団)に就任し[1]日中戦争に出動[1]山西軍の掃蕩や、五台作戦、潞安での掃蕩などを戦い大なる戦果を収め[1]1940年(昭和15年)1月11日に召集解除となった[1]1945年(昭和20年)3月9日に召集され、歩兵第56旅団長(第13軍第60師団[7][8][9])に着任[10]上海で連合軍の上陸に備える中で終戦を迎えた[9]

1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[11]

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i j k l 福川 2001, 754頁.
  2. ^ a b c d e f 外山 1981, 234頁.
  3. ^ 外山・森松 1987, 384頁.
  4. ^ 外山・森松 1987, 385頁.
  5. ^ 外山・森松 1987, 392頁.
  6. ^ 外山・森松 1987, 393頁.
  7. ^ 外山・森松 1987, 1245頁.
  8. ^ 外山・森松 1987, 1246頁.
  9. ^ a b 外山・森松 1987, 1247頁.
  10. ^ 第55号 昭和20年3月10日 陸軍異動通報」 アジア歴史資料センター Ref.C12120935900 
  11. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」193頁。

参考文献 

  • 外山操・森松俊夫 編著『帝国陸軍編制総覧』芙蓉書房出版、1987年。 
  • 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738 
  • 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。 ISBN 4829500026 



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  山口三郎 (陸軍軍人)のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「山口三郎 (陸軍軍人)」の関連用語

山口三郎 (陸軍軍人)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



山口三郎 (陸軍軍人)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの山口三郎 (陸軍軍人) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS