展覧会の背景と展示
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/09 01:55 UTC 版)
「パリ万国博覧会 (1925年)」の記事における「展覧会の背景と展示」の解説
20世紀初頭のフランスでは、近隣諸国でドイツ工作連盟に代表されるようなデザイン教育の組織化や工業の大量生産化に応じたデザインの開発が進行する一方で、フランスの産業デザインが取り残されることに対し危機感が高まっていた。そこで装飾芸術の振興のため、またフランス製品の独自性や優位性を内外に示すため、装飾芸術の国際博覧会を行うべきだという主張が起こった。 1900年パリ万国博覧会直後から装飾芸術博覧会計画はあったものの、装飾芸術のあり方を巡ってデザイナー同士の対立や、大量生産を行う商工業者とデザイナーとの対立が起こり博覧会の方針が定まらず、第一次世界大戦勃発もあって博覧会は延期となり、戦後の1925年になりようやく開催された。展示は「建築」「家具調度」「衣装・装身具」の三分野に分けることが戦前から決まっていたが、戦後の1919年に、博覧会計画にはデザイン教育を中心とする「教育」と、イルミネーションや広告やショーウィンドウなどを対象とする「劇場・通り・庭園の芸術」の分野が加えられた。
※この「展覧会の背景と展示」の解説は、「パリ万国博覧会 (1925年)」の解説の一部です。
「展覧会の背景と展示」を含む「パリ万国博覧会 (1925年)」の記事については、「パリ万国博覧会 (1925年)」の概要を参照ください。
- 展覧会の背景と展示のページへのリンク