小田原急行鉄道へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/24 15:03 UTC 版)
高等文官試験に失敗した安藤は、隣村出身で叔父の遊学仲間であった実業家・利光鶴松のもとを訪ねる。利光は、新宿から小田原まで鉄道を敷くという話をし小田原急行鉄道への入社を進める。このとき、勘当同然となっていた実家に戻る時間もくれたため、1925年5月1日、小田原急行鉄道へ入社する。 小田原急行入社後、総務課で働いた後、用地買収係に配属。松田町神山 - 足柄村堀の内間の用地買収に携わる。また、従業員募集の仕事も行っており、利光・安藤の郷里である大分にむかう際、山陽本線特急列車脱線事故にも遭遇しているが、運良く無傷であった。 その後、利光鶴松の傘下にあった東京山手急行電鉄(のちの帝都電鉄)に出向し、用地買収に携わるものの、会社の業績が低迷していたため給料の低さから生活は困窮。このとき、退社をし満州拓殖公社への就職を決心するが妻の反対を受け、帝都電鉄に留まることとなる。 1940年、帝都電鉄は小田原急行鉄道に合併し、安藤は監査課長、総務課長、総務部長を歴任する。このとき、小田急の取締役であった五島慶太の元で働くこととなる。
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