小田原木遣り唄の歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/15 23:16 UTC 版)
関連:山王松原木遣唄(さんのうばら|さんのうまつばらきやりうた) 木遣り唄(浜木遣り)は小田原では本来、漁船の上で網を引く時に唄われるものだが、現代の様に機械で網を巻き上げる訳ではなかった昔は何艘もの漁船が網の周りを囲んで、一斉に定置網を人の手で引き上げていた。この時、全員の息が合わないと網が傾き、魚が取れないため、引き手は掛け声を必要とし木遣り唄が生まれた。流れとしては、木遣りが始まると網を引かず、木遣り唄が終わると全員一斉に再び網引きが続けられる。徐々に網が重くなってくると、引き手が疲れてくるので木遣りが次から次へとかけられて行くのである。昔の漁師は海に落ちて亡くなる者も多く、木遣り唄は命の唄であり神聖なものであった。木遣り唄には神を祭る唄も多く残っており、当時漁師は命がけの仕事であった事がわかる。後世に出来た唄もあるが艶唄|色唄も多く残る事から、漁の仕事が男の仕事であった事もうかがえる。現代でも漁師の祭りの意味合いが大きい松原神社例大祭山王神社例大祭で神輿が突っ駆ける前に唄われている。
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