小林の入境禁止処分を巡る騒動・後禁止解除
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/21 22:25 UTC 版)
「新ゴーマニズム宣言スペシャル・台湾論」の記事における「小林の入境禁止処分を巡る騒動・後禁止解除」の解説
こうした中、台湾内政部は2001年(平成13年)3月2日、「わが国の利益、公共の安全、公共の秩序、あるいは善良な風俗に危害を及ぼす恐れのある者」であるとして、小林の台湾への入境禁止(いわゆる入国禁止)を決定した。外省人は8割を牛耳るマスコミで『台湾論』バッシングを行い、さらに許文龍の会社に卵を投げつけ、婦人団体や立法委員会の馮滬祥らが日の丸を破り、『台湾論』の不買運動と焚書を行った。しかしこの後、台湾国内で民主化に逆行するという批判が高まり、当時の中華民国総統・陳水扁、総統府国策顧問・金美齢らの抗議声明にまで発展した。また、金は積極的にテレビ討論に出席し、反台湾論論者と討論を行なう。その中で批判論者の多くがしっかりと読まず、慰安婦問題など一部だけ切り取ったように読んでいた事を指摘し、騒動は下火となる。入境禁止処分は3月23日に解除された。その後、小林は台湾独立派から「もう一度描けば、あなたは台湾の歴史に残る!」と言われたが、外国である台湾の行く末を左右するに至るのは危険と判断し、現在のところ続編には至っていない。 このエピソードは新・ゴーマニズム宣言9巻に載っている。
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