尊攘・脱藩浮浪問題
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 08:58 UTC 版)
遷都計画には、公卿や保守派、京都市民などから反対の声が挙がった。戊辰戦争がいまだ継続されている中、維新直後の混乱した政情の下、政府内外での各藩閥や派閥による意思決定過程に不満をもつ不平分子がこの課題を政治問題化し、とくに久留米や肥後の尊攘派や脱藩浮浪が一部公卿と結びつき(この動きは後に知られる佐賀の乱や神風連の乱など九州・山口を舞台とする士族反乱に発展する)、明治新政府による天皇行幸(東行)すら新政府中枢による政治の壟断として反論が噴出する状態であった。
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