対山口組
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/27 21:03 UTC 版)
1973年(9月)、大阪・ミナミの繁華街にて所属構成員と山口組系山健組の構成員の間で些細なトラブルが発生。これが互いの本部事務所を銃撃し合うほどの大抗争へと発展した。早期に手打ちが実現したものの、当時の山口組でも屈指の好戦勢力として知られていた山健組を相手に引けを取らない戦闘行動を展開したとして、この抗争は組織の名を世に広く知らしめる結果となった。 1982年の3月にも山口組の二次団体との抗争事件を引き起こし、さらに1987年になると、別の山口組の系列組織と半年間にわたって抗争を展開。26件の事件をもって5名の死者と2名の負傷者を出すに至ったその抗争は、のちに「泉州抗争」と題された。
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