寺坂吉右衛門の生い立ち
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 04:50 UTC 版)
吉田忠左衛門はあるとき捨て子を見つける。寺の前の坂で拾ったので、寺坂という姓を付け、行く末吉き事を願い、吉右衛門という名前をつけて里子に出し、長じると忠左衛門の所に武家奉公させた。 しかし寺坂は忠左衛門の下女「おたね」と密通して子をなすという武家のお法度を犯してしまう。武家奉公の身では夫婦にしてやる事も許されず、忠左衛門は仕方なしに寺坂を解雇する。おたねも何も持たされず襦袢一枚で忠左衛門の家を追い出されたが、襦袢を調べてみると中に五十両が縫い付けてあった。忠左衛門が二人を心配して縫い付けてくれたのだ。二人は八百屋をして生計を立てる事にする。 それから十三年後、寺坂は忠左衛門と再会。聞けば忠左衛門は播州浅野家に仕官が決まったが、鎧を買う為の五十両がなくて困っているという。 ある日忠左衛門のもとに寺坂がやってきて、豆煎りの入った袋を置いて帰る。忠左衛門が豆を食べようと袋を開けると、中には五十両が入っていた。寺坂夫婦は昔の恩返しにと、娘の「お軽」を女衒に売る事で五十両を得て、それをそっと忠左衛門に渡したのだ。 しかし急に五十両が手に入った事が災いして忠左衛門は泥棒と勘違いされてつかまってしまう。しかも忠左衛門は五十両は自分が盗んだものだと自白してしまう。忠左衛門はこの五十両は寺坂が盗みをはたらいて得たものだと勘違いし、寺坂をかばう為に自白したのだ。 そこで寺坂は早速奉行所にかけつけ、五十両は娘を売って得た金である事を詳言。そこで奉行所が女衒を調べると、女衒が寺坂に払うべきお金の一部を着服していた事、盗難の犯人は女衒の仲間である事などが分かった。 これで無事忠左衛門は釈放され、寺坂の娘のお軽も孝行が神妙だという事で親元の寺坂の所へ返され、奉行所の口添えで寺坂も浅野家に奉公できる事になった。 関根黙庵の『講談落語今昔譚』によれば、この話は松崎堯臣の『窓のすさみ』に登場する「向坂次郎右衛門」の話を寺坂吉右衛門の話に焼きなおしたものだという。
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