家康没後の江戸時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/10 08:27 UTC 版)
1619年(元和5年) 頼宣が和歌山城主に移封。 1624年(寛永元年) 徳川秀忠の第二子・徳川忠長が駿府城主となる。 1631年(寛永8年) 忠長が乱心、兄である徳川家光に改易と蟄居を命じられる。 1632年(寛永9年) 忠長が高崎城で自刃。以後、駿府は公儀御料(江戸幕府直轄領)となり、駿府城代・駿府定番(副城代に相当)が置かれる。 1635年(寛永12年) 城下の火災が城に延焼し、大半を焼失。 1638年(寛永15年) 御殿・櫓・城門等が再建されるも、城主がいないため、天守は再建されず。 1707年(宝永4年)宝永地震により駿府城石垣等が大破し、建物も1/3焼失。 1708年(宝永5年)駿府城修復。 1854年(安政元年)安政の大地震により駿府城内外の建物、石垣などほぼ全壊する。 1857年(安政4年)修復工事の着手。 1858年(安政5年)修復工事の完了。
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