宮田東峰
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/30 00:48 UTC 版)

宮田 東峰(みやた とうほう、1898年〈明治31年〉3月24日[1][2][3] - 1986年〈昭和61年〉1月31日[2][3][4])は日本のハーモニカ奏者、作曲家。本名・宮田 孝三郎(みやた こうざぶろう)[5][2][4]。群馬県前橋市出身。日本作曲家協会常任理事、日本コロムビア常任顧問[3]、日本音楽著作権組合副委員長[5]、群馬県作詞作曲家協会長[5]などを務めた。兄は東京マンドリン宮田楽団創立者の宮田信義、息子はジャズ・フルート奏者の宮田英夫[2]。
生涯
1898年(明治31年)、群馬県前橋市神明町に[5]父松之助、母はる子の三男として生まれる[1]。父は自身が生まれた日に死去した[1][2]。6歳の時に母とともに母の実家があった野田に移り住むが、翌年母も死去したため東京の兄姉のもとに身を寄せた[6]。
比留間賢八に弟子入りしていた次兄・信義がハーモニカを演奏していたことからハーモニカに関心を持ち[7]、小学5年のとき義兄がドイツ出張のお土産として買ってきてくれたホーナー社のハーモニカに熱中した[7][5][2]。氷川尋常小学校を卒業し赤坂高等小学校に進む[8]。
1918年(大正7年)中央大学経済学部に籍を置きながら東京毎夕新聞に入社[9][5][2]。同年帝国蓄音機商会(ヒコーキレコード)で「カルメン」と「ダニューブ河の漣」の吹き込みを行い初のレコードが発売された[10][2]。同年6月、日本最初の民間人によるハーモニカ合奏団である、東京ハーモニカ・ソサイアティを結成[11][2]。大学は同年に中退[12][3]。
1922年(大正11年)にニッチク(現・日本コロムビア)で東京ハーモニカ・ソサイアティ初のレコード吹き込みを行った[13]。曲は「愉快な鍛冶屋」と「双頭の鷲の下に」で、当時の15人のメンバーの中には後にテナーサックス奏者として知られる松本伸やアコーディオンの小泉幸雄などがいた[13]。最初のレコードの吹込料は現金では支払われず鰻丼をおごられたが、2枚目の「ラ・スパニョラ」「勝利の父」から吹込料が支払われるようになった[14]。
1923年(大正12年)4月には、日本で初となる自身の顔写真の商標登録を行い、宮田東峰監修のハーモニカ「スポーツマン」が発売された[15]。翌1924年(大正13年)にトンボ楽器と契約[16][5][2]。
1924年(大正13年)9月、東京ハーモニカ・ソサイアティをミヤタ・ハーモニカ・バンドに改称[17][5][3]、ハーモニカの独奏の活動をやめ合奏指導や編曲へ専念することとなる[17]。同月、コロムビアと専属契約を結ぶ[18][5]。
1931年(昭和6年)松竹初のトーキー映画『マダムと女房』制作にあたってラストシーンの挿入歌「私の青空」の演奏をハーモニカ・オーケストラで行い、2作目の『若き日の感激』でも演奏を行った[19]。
1953年(昭和28年)、コロムビア・ミヤタ音楽教室を開設[20][2]。歌謡科からは島倉千代子・君和田民枝・江波孝也・鹿島幸治・白鳥みずえ・坂口うたえ等の歌手を輩出することとなる[20]。
1960年(昭和35年)に藍綬褒章受章、1968年(昭和43年)に勲四等旭日小綬章、1974年(昭和49年)には勲三等瑞宝章に叙せられた[2][3]。
1986年(昭和61年)1月31日、心不全で死去[4]。行年87歳。戒名は龍光院孝誉栄楽東峰大居士[要出典]。
2022年(令和4年)、雑司ヶ谷霊園に所在する墓所が無縁墳墓に指定された[要出典]。
作曲作品
他多数
著書
- 「ハーモニカ教本」
- 「ミヤタハーモニカ独習」
- 「音楽に生きる」
褒章
- 藍綬褒章(1960年)
- 勲四等旭日小綬章(1968年)
- 勲三等瑞宝章(1974年)
監修楽器
- 昭和楽器製造
- ミヤタソプラノ
- 明星ミヤタ
- 少年用学生ミヤタ
- スペシャルミヤタ
- ミヤタハーモニカ
- Showa21スペシャル[22](リニューアル版)
- 鈴木楽器製作所
- ミヤタハーモニカ
- 高級ミヤタMH-21(復刻版)
- ミヤタハーモニカ
- 東海楽器製造
- 高級ミヤタ
- 特製ミヤタ
- スターミヤタ
- スーパーミヤタ
- ミヤタ響鳴
- ジュニアミヤタ
- ミヤタホーン
- トンボ楽器製作所
- ミヤタトンボ
- ミヤタバンド
- 内外ロビン楽器製作所(販売は、新興楽譜出版社)
- MIYATA'ハーモニカ
- コンダクターミヤタ
- ミヤタ・ファン
- ミヤタ監製
- 中央楽器製作所
- 学生ミヤタ
- ミヤタソロ(ミヤタ獨奏)
- ニューミヤタ
脚注
出典
- ^ a b c 宮田 1959, p. 7.
- ^ a b c d e f g h i j k l 新撰 芸能人物事典 明治~平成『宮田東峰』 - コトバンク
- ^ a b c d e f 20世紀日本人名事典『宮田東峰』 - コトバンク
- ^ a b c 講談社 編『現代人物情報源 1987-'88』講談社、1987年7月15日、544頁。doi:10.11501/12211277。(
要登録)
- ^ a b c d e f g h i 『群馬県人名大事典』上毛新聞社、1982年11月1日、512頁。doi:10.11501/12189010。(
要登録)
- ^ 宮田 1959, pp. 8–10.
- ^ a b 宮田 1959, pp. 16–20.
- ^ 宮田 1959, p. 23.
- ^ 宮田 1959, p. 50.
- ^ 宮田 1959, pp. 54–55.
- ^ 宮田 1959, pp. 55–56.
- ^ 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)[要ページ番号]
- ^ a b 宮田 1959, p. 62.
- ^ 宮田 1959, pp. 63–64.
- ^ 宮田 1959, p. 71.
- ^ 宮田 1959, p. 70.
- ^ a b 宮田 1959, pp. 71–72.
- ^ 宮田 1959, pp. 114–115.
- ^ 宮田 1959, pp. 132–134.
- ^ a b 宮田 1959, pp. 237–238.
- ^ “平成23年 大衆音楽の殿堂(顕彰者一覧) | 古賀政男音楽博物館”. www.koga.or.jp. 2025年6月25日閲覧。
- ^ “昭和楽器製造 / ハーモニカのこだわり”. www.syowagakki.co.jp. 2024年4月17日閲覧。
参考文献
- 宮田東峰『みんな仲間だ』東京書房、1959年9月30日。doi:10.11501/2490162。(
要登録)
外部リンク
- 高級ミヤタ MH-21鈴木楽器製作所
- Showa21スペシャル昭和楽器製造
固有名詞の分類
- 宮田東峰のページへのリンク