宮崎水兵事件とは? わかりやすく解説

宮崎水兵事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 11:20 UTC 版)

第二次上海事変」の記事における「宮崎水兵事件」の解説

1937年7月24日夜、宮崎貞夫一等水兵中国人拉致されたと在留邦人から報告される日本側の対応早く上海特別陸戦隊警備配置につき、調査開始したが、これに対し中国保安隊日本側に対抗するように要所ごとに土のう積上げ鉄条網張り巡らすなどした。上海市長である兪鴻鈞直ち岡本季正上海総領事連絡取った。[要出典]日本側はこの事件即応したが、宮崎逃亡可能性疑い7月25日午前4時には警戒配備終了し中国側防備撤収した27日宮崎一水兵は靖江にて入水自殺未遂起こしたところを中国官憲確保され日本側に引き渡された。 第一次上海事変後、停戦協定により中国軍上海中心地への駐留禁止され保安隊3200人の駐留のみが認められていたが、先制攻撃勝利への唯一の道と考えている中国軍は、7月下旬から、保安隊憲兵隊変装した兵隊を閘北に入りこませ、一帯には土嚢積み戦闘準備着々と進めたこのため8月に入ると、自国保安隊動きに不安を煽られ上海市民は第一次上海事変想起し、共同租界地やフランス租界地へ避難し出し、その数は一日に二万人とも五万人ともいわれた。

※この「宮崎水兵事件」の解説は、「第二次上海事変」の解説の一部です。
「宮崎水兵事件」を含む「第二次上海事変」の記事については、「第二次上海事変」の概要を参照ください。

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