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宮崎一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/12 08:42 UTC 版)

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宮崎一

宮崎 一(みやざき はじめ、1886年明治19年〉11月21日[1]1951年昭和26年〉10月10日[2])は、衆議院議員立憲政友会)、弁護士

経歴

埼玉県北足立郡浦和町(現在のさいたま市)に衆議院議員宮崎鏋三郎の長男として生まれる[3][4]浦和中学校第一高等学校を経て、1912年(明治45年)に東京帝国大学法科大学を卒業した[5]。卒業後は浦和で弁護士事務所を開業した。1919年大正8年)に埼玉県会議員に当選し、後には議長も務めた[5]。また浦和弁護士会長にも選ばれた[6]

1932年(昭和7年)、第18回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。4回連続当選を果たした。その間、米内内閣陸軍参与官に、幣原内閣で陸軍政務次官第一復員政務次官に就任した。1946年(昭和21年)、公職追放となった[7]

脚注

  1. ^ 衆議院『第七十回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1936年、9頁。
  2. ^ 『政治家人名事典』
  3. ^ 青野権右衛門編『立憲政友会功労者追遠録』安久社、1933年、p.447。
  4. ^ 人事興信所編『人事興信録』第14版 下、1943年、ミ88頁。
  5. ^ a b 『埼玉人物評論』P.15-16
  6. ^ 『衆議院要覧』
  7. ^ 『朝日新聞』1946年2月10日一面。

参考文献

  • 『埼玉人物評論』埼玉評論社、1936年。
  • 『衆議院要覧(乙) 昭和十七年十一月』衆議院事務局、1942年。
  • 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。



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