実隆本源氏物語系図の成立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/11/19 08:25 UTC 版)
「実隆本源氏物語系図」の記事における「実隆本源氏物語系図の成立」の解説
三条西実隆の日記「実隆公記」の記述や現存する複数の「実隆本源氏物語系図」の内容や奥書の違いによって、少なくとも4ないし5種類の系統の「実隆本源氏物語系図」が存在することが確認出来るため、一度に完成したのではなく何度か繰り返し考察を加えて改定・発展していると見られている。 「実隆公記」の記述によると、もともと三条西家には源氏物語古系図が存在したと見られ(これが昭和初期になって三条西家に所蔵されていた源氏物語古系図として三条西公正によって紹介されたものと同じであるかどうかは不明)、それを書写したり貸し借りしたり、校合を行っていた。また宗祇や肖柏といった源氏物語に造詣の深い当時の知識人たちの源氏物語についての講釈を聞き、あるいはこれらの人物と議論を交わしている。また既存のさまざまな古系図を調べ、その校合や改訂を行っていたが、部分的な校訂では飽きたらずに全面的な改定を行うことになった。 実隆によって行われた「実隆本系図」の作成は、いわゆる三条西家本と呼ばれる源氏物語の本文の制定や細流抄などいくつかの三条西家系統の注釈書の作成などと合わせて三条西家の源氏学を形成するものである。
※この「実隆本源氏物語系図の成立」の解説は、「実隆本源氏物語系図」の解説の一部です。
「実隆本源氏物語系図の成立」を含む「実隆本源氏物語系図」の記事については、「実隆本源氏物語系図」の概要を参照ください。
- 実隆本源氏物語系図の成立のページへのリンク