宝鈔の発行開始
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朱元璋が明の初代皇帝洪武帝として即位したのち、明政府は1374年(洪武7年)9月に宝鈔を発行する組織である宝鈔提挙司(中国語版)を設立し、1375年(洪武8年)3月に大明通行宝鈔を発行した。当初から、宝鈔は銅銭に比べて偽造しにくい点が評価されていた。宝鈔の価値を管理するために、以下のような政策が行われた。 偽造者の斬罪と密告の奨励。 宝鈔1貫=銅銭1000文=銀1両=金2.5銭のレートの設定。 宝鈔の種類は1貫、500文、400文、300文、200文、100文の6種類。 民間の金銀使用の禁止。 商業税を銅銭3、宝鈔7の比率で納税するように定めた。 貴金属の使用を禁じて宝鈔を流通させることで、明政府は元から続いていた交鈔を宝鈔に切り替えることを意図した。 宝鈔の発行額は明確な史料がなく、推定で1385年(洪武18年)頃に年間500万から600万錠(2500万貫から3000万貫)、洪武帝後半期は1000万錠(5000万貫)前後である。宝鈔の回収額は洪武帝後半期で400万錠(2000万貫)となる。元の交鈔と比べると発行額・回収額ともに少ない。発行のペースは毎年一定額を発行する形式をとらず、断続的だった。発行した宝鈔の用途は当初は軍人への賞賜であり、1385年以降は臨時的に使われたと推測される。経常的な財政のために発行されたのではなく、この点でも元の交鈔とは異なる。
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