宝鈔発行前の状況
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/09 02:42 UTC 版)
前王朝である元では、交鈔と呼ばれる紙幣が流通していた。元の支配が崩れると各地で独立勢力が勃興し、その1人である朱元璋は呉(のちの明)を建国する。当初の政府は独自の紙幣は発行せず、銅銭(銅貨)を発行する政策をとった。銅銭発行の組織として南京に宝源局(中国語版)を設立し、1361年に大中通宝を発行して私鋳(民間鋳造)を禁じた。王朝交替期の戦乱によって民間の価格は米1石=3000文だったが、物価上昇をおさえるために官直(公定価格)は米1石=1000文とした。また、貨幣の交換比率は元朝時代の単位を引き継ぎ、大中通宝の計算単位は400文を1貫、40文を1両、4文を1銭とした。大中通宝と交鈔の交換比率を定めることで交鈔の流通を維持し、経済の混乱を最小限にとどめるのが目的だった。こうして、宝鈔が発行されるまでは明においても交鈔は使われ続けた。また、大中通宝には銅銭の規格統一によって物価を安定させる効果も期待された。
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