宗教復活
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/02 04:51 UTC 版)
1805年、ショーニー族内では、テカムセの弟である「預言者」テンスクヮタワによって、インディアンの白人入植者排斥主義的宗教が復活し、白人社会への順応を受け入れた酋長達の影響力に脅しをかけた。テンスクヮタワの考えは多くのインディアンの共感を呼び、彼らに白人のやり方を拒絶させ、合衆国からのさらなる土地の収奪を止めさせた。合衆国と協力して行く方向に傾いていた多くのインディアンが、裏切り者として殺された。ブラック・フーフも裏切り者扱いされたが、危害は加えられなかった。テンスクヮタワはグリーンビルの彼の集落から、ブラック・フーフの合衆国との友好関係の体面を傷つけることもした。 1808年までに白人とワパコネタのショーニー族との間の緊張関係が募り、テカムセとテンスクヮタワは集落を立ち退き、さらに北西に行ってウォバッシュ川とティピカヌー川が合流するところの近くにプロフェッツタウンの集落を作った。リトルタートル酋長はこの兄弟を歓迎できないことを伝えたが、これは無視された。その次の3年間、テカムセは合衆国東部全域を旅し、篝火を囲んだ何百もの会議の席上で演説して回った。テカムセはインディアンと白人の間の歴史について豊富な知識を持っており、それを演説で効果的に使用した。こうしてテンスクヮタワの教義は広く知られることになり、多くのインディアン部族から賛同者を惹きつけた。その部族はショーニー族、カナダのイロコイ族、チカマウガ族、フォックス族、マイアミ族、ミンゴ族、オジブワ族、オッタワ族、キカプー族、デラウェア族、マスクーテン族、ポタワトミ族、ソーク族およびワイアンドット族(ヒューロン族)であった。テカムセはこれら部族同盟の調停者として尊敬を集めたが、宗教的な訴えによってその基礎を築いたのは弟テンスクヮタワの方だった。
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