宗像本系
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/15 00:46 UTC 版)
19世紀初頭、宗像神社の宮司の一族を称する大野郡土師村の庄屋宗像良蔵が、「神のふみ」として伝わる特殊仮名で書かれた古文書の鑑定を、岡藩を訪れていた京都吉田神学館の玉田永教に依頼したが、偽書と断じられた。 良蔵の死後の1831年(天保2年)に、この古文書は府内の国学者・幸松葉枝尺の手に渡り、解読が進められた。幸松は、1848年(嘉永元年)に文字を普通仮名に改めた写本を完成するとともに、1872年(明治5年)には原書の特殊仮名のままの写本を完成させた(宗像本)。良蔵の妻の実家に保管されていた原本は、1873年(明治6年)に洪水で流され消失した。宗像本は、現在橋爪家に所蔵されているため、橋爪本とも呼ばれる。 1935年(昭和10年)に、神代文化研究会から刊行された『上記』は、野津町の安藤一馬が「宗像本」を書写した「安藤本」を底本とするものである。
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