安徳天皇追憶の語り
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/05 15:33 UTC 版)
覚一本では六道語りの地獄道における、安徳天皇入水の場面が異様に長い。しかし肝心の地獄の描写は、最後の「後に残された人々のわめき叫ぶ声が地獄の罪人のようだった」という部分だけで、安徳天皇入水は地獄の比喩とは必ずしも言い難い。一方、延慶本では徳子が安徳天皇の入水について、六道語りとは別立てで語っている。延慶本は恨み言の語りがない代わりに、安徳天皇の回想が最も詳細な部分となっている。また『平家物語』は徳子の生き残った理由について、壇ノ浦の場面では「海に飛び込んだが武士に引き上げられた」としながら、大原御幸の場面では「母に生き残るように説得された」とするなど、相互矛盾を引き起こしている。 これらのことから、安徳天皇入水の場面は本来は『平家物語』とは別のもので、後から取り入れられたものではないかと考えられる。『平家物語』以外で唯一、大原御幸を記す『閑居友』ではそのほとんどが安徳天皇の回想で占められている。ここでの徳子は後白河への恨みも六道も語らず、ひたすら我が子と母のために祈る平凡な女性であり、徳子の実像に近いように思われる。徳子と共にいる尼について『平家物語』は阿波内侍・大納言典侍とするが『閑居友』は固有名を記していないことからも、『閑居友』の形が原型であり『平家物語』はそれを取り入れて脚色したのではないかと推測される。もっとも『閑居友』自体が「かの院の御あたりの事を記せる文」によって書いたとしているので、『平家物語』も直接「かの院の御あたりの事を記せる文」から取り入れた可能性もある。
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