学生・アマチュア時代
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中学生の頃から兄がグループ・サウンズを聴いていたことから音楽に興味を持ち、ボブ・ディラン、オーティス・レディングなどを聴き始め、高校の学園祭でバンドを結成して音楽活動を始める。駒澤大学在学中、初期はブルーグラスをやっていたが、のちにR&Bに傾倒。大学3年の1978年(昭和53年)にロックバンド「クラウディ・スカイ」を結成(大沢はボーカル、ギター担当、当時大沢はギタリストを希望していたがボーカル担当者がいなかったため大沢がボーカル・ギターの双方を担当)。 卒業後の1981年(昭和56年)4月にビクターからレコード・デビューするが、結束力が弱いため、ヒット曲を出すこともできずバンドの方向性を巡って他のバンドメンバーとトラブルになったことから、アルバム1枚(『明日はきっとハレルヤ』)とシングル2枚(「悲しきコケコッコ」「私は蝉になりたい」)を残すのみで同年末に解散。バンド解散直後の1982年1月、大沢は印税を前借りしてその金で単身渡米する。ニューヨークのクリストファー・ストリート近辺のロフトで約1年間過ごし、他のアーティスト(特にアイドル歌謡曲)へのプロデュースおよび楽曲提供の傍ら、アポロシアターやジャズクラブ・美術館等に入り浸る日々を送っていた。
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