学校存続の危機
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 15:55 UTC 版)
「東京専門学校 (旧制)」の記事における「学校存続の危機」の解説
設立当初は政治経済学・法律学・英学・理学の4学科が設置(その後理学科は廃止)され、のちに坪内逍遥を中心に、日本最初の純粋な文学研究学科として文学科も設置された。 しかし官学中心主義をとる政府は、東京専門学校が「学問の独立」を謳っていたにもかかわらず、大隈が設立に関与していたことから、これを改進党系の学校とみなし、私立校への判事・検事および大学教授(すなわち東大教授)の出講禁止措置など、さまざまな妨害や圧迫を加えた。また、自由民権運動と政治運動を気風とし、文部省の文部大書記官辻新次・少書記官穂積陳重の巡視を受け、看過できない落書きが構内にあった、と参議に報告されている。しばらくの間東京専門学校は講師の確保にも窮する状態が続き、一時は同じく英法系で新設の英吉利法律学校(中央大学の前身)との合併話が持ち上がるほどであった。 しかし、第1回卒業式(得業式)には、来賓として、鍋島直彬、辻新次、外山正一、福澤諭吉、中村正直、穂積陳重、北畠治房、中島永元、杉浦重剛、野村文夫、尾崎行雄ら各界の名士数十人が数えられて、開校式の大きさに匹敵する盛大さがあった。 また、第1回衆議院議員総選挙に当選した学苑関係議員には、高田早苗、天野為之などの他、犬養毅や関直彦、藤田茂吉などもいた。
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