孔教運動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 00:22 UTC 版)
変法自強運動を進める康有為は、『孔子改制考』を著して孔子を受命改制者として顕彰し、儒教をヨーロッパ風の国家宗教として再解釈した孔教を提唱した。康有為の孔教運動は年号紀年を廃して孔子紀年を用いることを主張するなど従来の体制を脅かし、清朝から危険視されて『孔子改制考』は発禁処分を受けた。変法派のなかでも孔教運動は受け入れられず、これが変法運動挫折の一因となる。しかし、辛亥革命が起こると、康有為は上海に孔教会を設立して布教に努め、孔教を中華民国の国教にする運動を展開した。彼らの運動は信仰の自由を掲げる反対派と衝突し、憲法起草を巡って大きな政治問題となった。その後、1917年、張勲の清帝復辟のクーデターに関与したため、孔教会はその名声を失った。康有為が唱える孔子教運動には、弟子の陳煥章が積極的に賛同し、中国・アメリカで活動した。この他に賛同した著名人として厳復がいる。
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