孔子素王説の否定
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/23 02:30 UTC 版)
「孔子素王説」とは、孔子は現実には王者の地位を得ることはなかったが、実は「素王(位なき王者)」の地位を得ていたとする学説である。これに従えば、『春秋』は孔子が真の帝王として王道政治の基準を示したものであるということになる。加えて、『春秋』の最後が獲麟の話で終わっていることについては、王者の象徴である麟が、真なる王者である孔子による『春秋』の完成に対する瑞祥として出現したという解釈がなされる。この孔子素王説は、公羊学者によって唱えられて以来通説となっており、『左伝』の解釈もこの考え方に沿って行われていた。 杜預はこうした孔子素王説を否定した。杜預は、孔子は王者ではなく、失われた周代の制度・文化を復興し後世に伝えるを意図した人物であると考え、『春秋』もその意図から書かれた書であるとする。そして、『春秋』の最後の獲麟については、瑞祥であるはずの麟が太平の世ではないにも拘わらず出現したことに孔子は慨嘆し、『春秋』を執筆したと解釈する。 川勝 (1973, p. 146)は、杜預の孔子素王説の否定は、孔子に対する神秘的な権威付けを否定し、『春秋』に付与された不合理な権威の剥奪を意味するものであったとし、これによって孔子と『春秋』は人間の文化の維持者・復興者としてとらえなおされたと評価する。
※この「孔子素王説の否定」の解説は、「春秋経伝集解」の解説の一部です。
「孔子素王説の否定」を含む「春秋経伝集解」の記事については、「春秋経伝集解」の概要を参照ください。
- 孔子素王説の否定のページへのリンク