娘との別離
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/27 01:43 UTC 版)
1度目の帰国の時、里きは娘のモヨを神奈川県三浦郡久里浜村(現在の横須賀市久里浜)に住む知人の加藤進夫妻に預けた。加藤進は横須賀海軍工廠関係の砲弾の弾道を計算する技師の仕事をしていた。モヨを預けたのは、アメリカで成功を収めてから、モヨを迎えに行くか、日本に帰るかしよう、と考えていたからである。従来、加藤夫妻はアメリカに渡ったことがないと考えられていたが、アメリカで撮影された写真が見つかったことで、1895年(明治28年)に里き・モヨとともにアメリカへ行き、翌1896年(明治29年)にモヨを連れて日本に帰国したのではないか、と推測されている。 その後、1898年(明治31年)に小学校1年生になったモヨの姿を見たのを最後に、里きがモヨと会うことはなかった。里きが1931年(昭和6年)12月5日に書き送った手紙には、会いたい気持ちと日本に帰りたいが成功するまで帰りたくない、という心情がつづられている。また、1898年(明治31年)の帰国時には宇都宮源吉を伴っており、親族から結婚の了承を得た。しかし、中安との離婚が正式には成立していなかったため、正式な婚姻を行ったかは不明である。
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