娘に続くネフェルティティ自身の記録の消失
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/21 03:19 UTC 版)
「ネフェルティティ」の記事における「娘に続くネフェルティティ自身の記録の消失」の解説
在位12年(紀元前1338年)の11月21日と推定される碑文が、彼女の娘メケタトンについて言及する最後の記録である。この日付の後、少ししてメケタトンは死去したと考えられる。アマルナの王家の谷にあるアクエンアテンの墓の浮き彫りは、彼女の葬儀の様を表しているように思える。 アクエンアテンの在位14年(紀元前1336年)、ネフェルティティ自身に関する歴史的記述が一切消えてしまう。またこの後、彼女について言及した記録も存在しなくなる。仮説は、王妃の突然の死に出逢い、耐え難い心の苦痛を抱いた王アクエンアテンがネフェルティティに関する言及を禁じたとするものから、王の寵愛を失い、王妃の地位を失ったネフェルティティが政治的に失脚してその名が消えたというものまで議論されている。しかし、この事件に関する信憑性ある資料は、歴史から完璧に消え去ってしまっている。
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