始祖について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/06 08:46 UTC 版)
『日本書紀』『古事記』『続日本紀』の所伝を総合すると、中国後漢霊帝の曽孫と伝えられる阿知使主が、応神天皇20年、漢の朝鮮半島における植民地帯方郡から、17県の人夫をひきいて帰化した。後漢霊帝の曽孫というが、実際は漢の朝鮮半島における植民地楽浪郡・帯方郡の漢人遺民とみられるが、「阿知使主が実在したか否かは不明」という指摘もあり、鈴木靖民は「伝説的人物」、関晃は「阿知使主渡来伝説」としている。 『日本書紀』よりのち、坂上氏の伝えるところによると、阿知使主は後漢の滅亡に際して漢の朝鮮半島における植民地帯方郡に移住し、さらに七姓の民とともに日本に渡る。また、『日本書紀』よりのち、坂上氏の伝えるところによると、阿知使主は応神天皇に奏し、「旧居帯方の人民男女はみな才芸があるが、最近は百済と高句麗の間にあって去就に困っているため、これを呼び寄せたい」と進言、使者を派遣して帯方郡の人民を勧誘し、帰化させたとある。
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