始祖のジョチ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/07 09:56 UTC 版)
ジョチとはモンゴル語で「客人」を意味するが、チンギスの長男であるジョチは生母のボルテがメルキト族に略奪され、チンギスがそれを奪回した後に誕生した故につけられた名である(ただし集史ではボルテが略奪前に懐妊していたとされている)。このため、種違いであるとして周囲から疑われたが、軍人としてはチンギスにも劣らぬ名将で、モンゴル統一から華北進出、大西征で多くの軍功を立てた。しかし次弟のチャガタイと出生疑惑をめぐって確執があり、チンギス自身もその出生に疑惑を抱いていたのか(事実、1225年にチャガタイにジョチの討伐軍編成を命じたりしている)、後継者には3弟のオゴデイを選んだ。ジョチには大西征の後、キプチャク地方とロシア南部の所領を与えられたが、1225年には出生疑惑が頂点に至り、チンギスのモンゴル召還命令が下る。だがジョチはその年に病死した。
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