妙清の乱の鎮圧
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/24 06:48 UTC 版)
先に門閥貴族の李資謙の乱(1126年)で荒れ果てた国都の開京を見て、西京(平壌)出身の僧の妙清は西京出身の白寿翰らとともに、風水地理説を根拠として仁宗に西京への遷都を迫った。このとき、金富軾らの王党派は儒教的な正統思想を掲げ、遷都に強く反対する運動を起こした。西京派は遷都実現の望みがなくなったために、1135年に西京に自立して国号を「大為」、年号を「天開」とし、開京の中央政府に対して大規模な反乱を起こした。これを妙清の乱(1135年 - 1136年)といい、高麗を二分して1年余りも激しい戦闘を続ける大きな内乱となった。金富軾は開京派の元帥として軍を率いて西京で激しく戦い、翌年に乱を平定した。
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