女流名人獲得以降とは? わかりやすく解説

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女流名人獲得以降

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/01 16:01 UTC 版)

矢内理絵子」の記事における「女流名人獲得以降」の解説

2006年度の第33女流名人位戦五番勝負中井広恵挑戦3-2で、2007年度の第34期では斎田晴子挑戦3-0それぞれ退け女流名人位3連覇を果たす。 これらの活躍により第33回(2005年度)から2年連続で最優秀女流棋士賞、第35回では女流棋士賞を受賞した。同じ頃、矢内のほかに、石橋幸緒女流王位千葉涼子女流王将獲得するなど「花の55年組」と呼ばれる同世代実力者グループ形成し清水中井牙城一時期崩していた。 2007年2月第2回さいたま輝き荻野吟子2007年の日本女子プロ将棋協会設立女流棋士会分裂に際して設立準備委員務め積極的に発言・活動していたが、同年4月に突然、準備委員辞任発表され日本将棋連盟残留した2007年1月自身二度目となる第20回レディースオープントーナメント優勝2007年度よりレディースオープントーナメント発展移行して棋戦となったマイナビ女子オープンでは、最後優勝者として参加し決勝五番勝負まで勝ち進む2008年4月から五番勝負では甲斐智美3-1降し初代女王の座に就くとともに自身初の二冠となった。この棋戦女流5つタイトル戦すべてに登場した初の女流棋士となった2009年6月からの第2期マイナビ女子オープン岩根忍3-0ストレート退け二連覇2009年4月 - 2014年3月NHK杯テレビ将棋トーナメント司会聞き手5年務めた2012年度倉敷藤花戦3年ぶりのタイトル挑戦者になる。三番勝負では里見香奈0-2敗退しタイトル奪還はならなかった。 2013年4月から2015年6月まで日本将棋連盟女流棋士会会長務め女流棋士発足45周年パーティーなど成功させた。 2013年7月東京大学大学院総合文化研究科客員准教授就任2014年2月21日女流四段昇段150勝を挙げ女流五段に昇段2015年5月1日2016年3月31日および2016年12月1日2019年3月31日まで出産育児のため休場した2019年度から対局復帰

※この「女流名人獲得以降」の解説は、「矢内理絵子」の解説の一部です。
「女流名人獲得以降」を含む「矢内理絵子」の記事については、「矢内理絵子」の概要を参照ください。

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