女流名人獲得以降
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2006年度の第33期女流名人位戦五番勝負で中井広恵の挑戦を3-2で、2007年度の第34期では斎田晴子の挑戦を3-0でそれぞれ退け女流名人位3連覇を果たす。 これらの活躍により第33回(2005年度)から2年連続で最優秀女流棋士賞、第35回では女流棋士賞を受賞した。同じ頃、矢内のほかに、石橋幸緒が女流王位、千葉涼子が女流王将を獲得するなど「花の55年組」と呼ばれる同世代の実力者グループを形成し、清水・中井の牙城を一時期崩していた。 2007年2月、第2回さいたま輝き荻野吟子賞 2007年の日本女子プロ将棋協会の設立(女流棋士会の分裂)に際しては設立準備委員を務め、積極的に発言・活動していたが、同年4月に突然、準備委員の辞任が発表され、日本将棋連盟に残留した。 2007年1月、自身二度目となる第20回レディースオープントーナメント優勝。 2007年度よりレディースオープントーナメントが発展移行して新棋戦となったマイナビ女子オープンでは、最後の優勝者として参加し決勝五番勝負まで勝ち進む。2008年4月からの五番勝負では甲斐智美を3-1で降し、初代女王の座に就くとともに自身初の二冠となった。この棋戦で女流5つのタイトル戦すべてに登場した初の女流棋士となった。 2009年6月からの第2期マイナビ女子オープンで岩根忍を3-0のストレートで退け二連覇。 2009年4月 - 2014年3月、NHK杯テレビ将棋トーナメントで司会・聞き手を5年間務めた。 2012年度の倉敷藤花戦で3年ぶりのタイトル挑戦者になる。三番勝負では里見香奈に0-2で敗退し、タイトル奪還はならなかった。 2013年4月から2015年6月まで日本将棋連盟女流棋士会会長を務め、女流棋士発足45周年パーティーなど成功させた。 2013年7月、東京大学大学院総合文化研究科客員准教授に就任。 2014年2月21日、女流四段昇段後150勝を挙げ、女流五段に昇段。 2015年5月1日~2016年3月31日および2016年12月1日~2019年3月31日まで出産・育児のため休場した。 2019年度から対局に復帰。
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