夫婦別氏とする太政官指令の発令
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 02:20 UTC 版)
「夫婦別姓」の記事における「夫婦別氏とする太政官指令の発令」の解説
夫婦の氏に関して、妻は夫の身分に準じるので夫家の氏を称するのが穏当だが前例が無く決し兼ねる、として内務省が太政官の判断を仰いだのに対し、1876年(明治9年)3月17日に発令した太政官指令15号において「伺の趣婦女人に嫁するも仍ほ所生の氏を用ゆ可き事/但夫の家を相続したる上は夫家の氏を称すへき事」とした。前段で、妻は「所生の氏」すなわち生家の氏を用いるべきと定めた(夫婦別氏制)。なお後段は、これに先立つ明治6年の太政官布告第28号で夫の死後子もなく養子をとることも難しい場合などやむをえない場合に妻が女戸主として家督を相続することが認められたことに対応したもので、その場合の女戸主は家督相続後夫家の氏を称する。 太政官法制局が夫婦別氏制をとった理由について、「妻は夫の身分に従うとしても、姓氏と身分は異なる」「皇后藤原氏であるのに皇后を王氏とするのはおかしい」「歴史の沿革を無視」の3点が指摘されている。一方、この後明治民法公布直前まで、妻が夫家の氏を称するのが慣習だとする地方官庁からの伺いが多数出された。増本敏子らは、太政官指令後も民間の慣例では多くの場合妻は夫の氏を称していた、としている。東京府では、婚姻後も生家の氏を称する妻は僅かと報告されていた。熊谷開作は、同指令後、戸籍上妻の氏を記載しない例も氏を残す例もあった、としている。 なお、太政官指令15号による夫婦を別氏とする規定は、1891年(明治24年)の司法省指令でもそのまま残されている。
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