太陽年と太陰年とは? わかりやすく解説

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太陽年と太陰年

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/01/29 13:36 UTC 版)

エパクト」の記事における「太陽年と太陰年」の解説

太陽年Solar year)は太陽春分点から黄道上を移動して再び春分点戻ってくるまでの365日周期である。太陰年Lunar Year)は、新月から次の新月までの朔望周期1か月(1朔望月)と考え、その12か月分とする。朔望月長さ平均約29.5日なので太陰年は、29.5日×12か月=354日となる。つまり太陰年太陽年より11日短いのである。 太陽年と太陰年が同時に始まった場合太陽年が終わる時に太陰年はすでに次の年の11日目になっている2年経てばその差は22日にまで広がるこのように太陰年太陽年比べて進みすぎた分をエパクト、つまり「次の年から付け足され日数」という。 地球から見え太陽の位置は常に動き、月も刻々と形を変えているが、エパクトは暦の日に対応するために整数で表す。とくにキリスト教においてエパクト移動祝日である復活祭の日付の計算Computus)に必要な数値であり、エパクト一覧表下記参照)が作られている。 紀元前から用いられユリウス暦エパクトでは、3月22日月齢がその年のエパクトとされた。 1582年発布され20世紀にかけて世界各国導入されグレゴリオ暦では、エパクト1月1日月齢等しくなっている。太陰年始まりは朔(新月であるから1月1日が朔であれば太陽年と太陰年は同時スタートを切り、ずれがないためエパクトは0である。例えエパクト数値14の年は、1月1日時点太陰年が既に14日進んでいる状態、つまり朔から14日目(ほぼ満月)まで進んでしまっている状態である。この「朔から何日目」に相当するのが月齢である。月齢は、朔の瞬間からの経過時間を日の単位表現したものなので「その年のエパクト数値1月1日月齢等しい」と言うことができる。ただし月齢小数点まで表すので、エパクト等しいのは整数部分のみである。 エパクト数値30越えるのは、太陽年と太陰年の累積したずれが30日以上ある状態である。太陰太陽暦では、この累積した30日閏月作って太陰年加えエパクト数値30減らす。 太陽年閏日エパクト計算には含まない閏日その時期の朔望月に付け加えて太陰月29日から30日または30日から31日増やすだけである。太陽年と太陰年の日付の差は変わらず、よってエパクト数値変わらない

※この「太陽年と太陰年」の解説は、「エパクト」の解説の一部です。
「太陽年と太陰年」を含む「エパクト」の記事については、「エパクト」の概要を参照ください。

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