太陽との出会い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 07:26 UTC 版)
ハワイに向かう船のデッキで三島は「太陽」と出会い、「太陽! 太陽! 完全な太陽!」と歌うように書いているが、この時の心境について次のように語っている。 ハワイに近づくにつれ、日光は日ましに強烈になり、私はデッキで日光浴をはじめた。以後十二年間の私の日光浴の習慣はこのときにはじまる。私は暗い洞穴から出て、はじめて太陽を発見した思ひだつた。生れてはじめて、私は太陽と握手した。いかに永いあひだ、私は太陽に対する親近感を、自分の裡に殺してきたことだらう。そして日がな一日、日光を浴びながら、私は自分の改造といふことを考へはじめた。私に余分なものは何であり、欠けてゐるものは何であるか、といふことを。 — 三島由紀夫「私の遍歴時代」 この「太陽」との出会いや印象が、「太陽」と親しむ最初のきっかけとなり、後年の随筆『太陽と鉄』にまで繋がってゆくことになる。三島と「太陽」との最初の無意識の出会いは、1945年(昭和45年)の敗戦の夏の「苛烈な太陽」だったが、その夏の光は、しんしんと万物の上に振りそそぎ、戦争が終わっても少しも変わらずにそこにある緑濃い草木は、その白昼の容赦ない光に照らし出されて「一つの明晰な幻影」として微風にそよいでいたという。三島はそれ以来、「太陽」は「死のイメージ」と離れることがなかった。 そして、この世界旅行での二度目の「太陽」との出会いにより「和解の握手」をし、爾来「太陽」と手を切ることができなくなった三島は、その「太陽」について次のように述べている。 私は太陽に出会つた経験が二度あるのだ。ある人物と決定的な出会をして、それから終生離れられなくなるずつと以前に、むかうもこちらに気づかず、こちらもほとんど無意識な状態で、その大切な人物にどこかでちらと出会つてゐることがあるものだ。私と太陽との出会もさうであつた。 — 三島由紀夫「太陽と鉄」
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