太陰暦と太陰太陽暦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/12 10:05 UTC 版)
詳細は「太陰暦」および「太陰太陽暦」を参照 日次を認識する際、天体の月が相(満ち欠け)を起こす様子は便利だった。そこから新月から次の新月までの周期である1朔望月(約29.53日)を基礎に置いた暦である太陰暦が発達した。この暦では、平均朔望月(約29.53059日)から1か月を29または30日とし、その12倍(太陰年=約354.36708日)を暦年と定めたが、季節の循環と毎年10日ほどのずれが生じることになった。この暦は遊牧民族や漁撈中心の社会に適し、地域では古代メソポタミア、エジプト、ギリシア、中国で発達した。現代でもイスラムで使われるヒジュラ暦は太陰暦であり、1年は354または355日となる。 しかし太陰暦は季節の期とのずれが激しく、気候変化に根付いた時間感覚との違和感が大きく農耕民族にとっては使いにくい。古代ギリシアの数学者メトンは、19太陽年と235朔望月にほぼ合うことを見つけ、太陰暦の19年に7度追加の月(閏月)を挿入するメトン周期を発案した。これによると、1年は平均して365.263日となる。この周期はバビロニアや中国でも独自に発見され、太陽年と太陰暦を置閏法で調整し特定の年を13か月とする太陰太陽暦が発達した。
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