太閤山ニュータウン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/11 05:24 UTC 版)
1962年、富山、高岡地区が新産業都市に指定され、県は開発の一環として新湊市(現射水市)の放生津潟を切り開き、富山新港を作った(1968年開港)。これにより周辺に大規模な工業団地が造成され、工場の従業員の家族のための住宅を確保する必要が生じた。また高度経済成長により県民所得が増加したため、工場関係者以外においてもより住みよい住宅に対する需要が高まった。これらを予見する形で、新産業都市指定以前の1960年ごろからニュータウンの建設計画が進められ、1964年ごろより順次太閤山地区に建設された。太閤山地区が選ばれた理由には、県東部・西部それぞれの中心都市である富山市・高岡市の中間に、また県全体で見ても中央部に位置することから、交通の便に恵まれている点が挙げられる。この太閤山ニュータウンは日本海側では有数の規模を誇る。
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