太閤秀吉と北政所おね
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/04 14:10 UTC 版)
さらに時代が下って戦国時代の終わる頃には、百姓あがりの豊臣秀吉が天下を取り、摂関家出身者以外ではじめて関白になるという歴史的な出来事が起こる。その正室・おね(のちの高台院)には、秀吉の関白補任に伴い従三位が授けられているが、彼女はこの直後から北政所と呼ばれるようになっていることから、叙位と同時に「北政所」の称号を贈る宣旨も出たものと考えられる。本来は「その任を譲った前関白」を意味する普通名詞だった「太閤」が、秀吉以後は専ら秀吉のことを指す固有名詞のようになったのと同じように、それまでは「摂政関白の正室」の称号だった「北政所」も、このおね以後は専ら彼女のことを指す固有名詞として定着し今日に至っている。 なお正室に贈られる「北政所」に対して、摂政関白の生母に贈られる称号を「大北政所」、略して「大政所」(おおまんどころ)といった。これも秀吉の生母・なかに贈られてからは、専ら彼女を指す語になっている。 詳細は「高台院」を参照
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