太平洋開発
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/10/05 16:45 UTC 版)
「ケーブル・アンド・ワイヤレス」の記事における「太平洋開発」の解説
1896年にペンダーが死去。ツィードデール侯爵が大東の会長となり、ペンダーの息子デニソンがマネージング・ディレクターとなった。 1899年にブラジル事業を統合、西部電信(Western Telegraph Company)を設立した。 1900年、イギリス・オーストラリア・ニュージーランド・カナダ四カ国政府が太平洋ケーブルの合資を決意し、テルコンが敷設契約を勝ち取った。これは1902年10月に竣工した。同年12月14日、大東が半分、大北が1/4出資する商業太平洋ケーブル会社(Commercial Pacific Cable Company)がサンフランシスコとハワイを結ぶ初の太平洋横断電信ケーブルを敷設。翌1903年に、ハワイからミッドウェー経由でフィリピンまで延伸。日露戦争が終わってすぐの1905年9月、この会社は日本政府と共同事業に合意し、敷設作業日米間太平洋横断国際海底ケーブルを開通させた。1906年8月1日の開通当日は明治天皇・セオドア・ルーズベルト間に祝賀電文の交換が行われた。ポーツマス条約締結後も新たな協約に基づいて共同事業は続けられた。
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