大隅蒲生氏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/08 08:26 UTC 版)
蒲生氏(かもうし)は、日本の氏族の一つ。鹿児島神宮の大宮司である藤原教清を祖とする藤原氏の一族。保安年間(1120年 - 1123年)に教清の子の舜清が、大隅国の垂水(現・垂水市)を経て荘園である蒲生院(現・蒲生町)を拠点とし、蒲生城を築いたのが始まり。 鎌倉時代から室町時代にかけては、守護として君臨した島津氏の下風に立ち、11代清寛は島津宗家(奥州家)7代元久・8代久豊の家老を務めるほどであった。ところが、戦国時代に蒲生氏の家督を継いだ婿養子の16代茂清(種子島氏12代種子島忠時の子)はにわかに渋谷氏一族や菱刈氏、さらに薩州家に調略された肝付氏庶流の兼演らと結んで、内紛で衰退した島津宗家に対抗した(茂清家督後に生まれた清親の子孫は変わらず島津宗家に仕える)。が、島津氏の内紛を収めた島津貴久の反撃を受け衰退、茂清の子の範清の代に降伏し、以後は島津氏の家臣となった(範清自身は島津氏に仕えるのを拒み祁答院氏、更に入来院氏を頼る)。ただし、貴久の命により家督は清親の子清綱が継ぐよう命じられる。 また、範清の子為清は、豊臣秀吉の九州征伐の際に密かに独立を企てたために島津義久に自害させられたが、そのとき幼少であった二人の子は京へ逃れ、成長すると加賀前田氏と信濃永井氏に仕えた。
※この「大隅蒲生氏」の解説は、「蒲生氏」の解説の一部です。
「大隅蒲生氏」を含む「蒲生氏」の記事については、「蒲生氏」の概要を参照ください。
- 大隅蒲生氏のページへのリンク