大阪女学院第二高等学校
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 14:40 UTC 版)
「大阪女学院中学校・高等学校」の記事における「大阪女学院第二高等学校」の解説
同一敷地内にあった定時制高等学校、大阪女学院第二高等学校の沿革についても、本項目で記述する。 1924年9月9日に大阪基督教女子青年学院夜間女子部として、北区西扇町(現・神山町)に開校した。1936年4月に扇町夜間女学校と改称し、同年6月には日本で初めての文部大臣認可の夜間女学校となった。 1944年には恵星高等女学校と改称し、1948年には学制改革により夜間定時制の恵星女子高等学校へと改編された。1948年12月にはYWCAから大阪女学院同窓会へと移管され、また大阪女学院敷地内へと移転している。 1951年には設置母体として学校法人恵星女子学園が認可されたが、同法人は1958年には学校法人大阪女学院と合併した。学校法人の合併に伴い、大阪女学院第二高等学校へと改称した。しかし1971年度以降の募集を停止し、1974年3月限りで休校となった。書類上は2007年6月に正式に廃止されている。
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