大阪やラムネ立飲む橋の上
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評 言 |
昭和27年作。作者32歳。第二句集『人中』(昭和51年刊)所収。 季語は「ラムネ」。季節は〈夏〉。 ラムネは、レモネードの転訛(てんか)と言われているが、成分は、サイダーとほとんど同じ。 むかしは、清涼飲料水の代表であった。独特の形の玉入りのガラス瓶に入っているが、飲むたびにガラス玉が上下に動き、カチッカチッと音がして、いかにも涼しげである。 句意は、説明する必要は、まったくない。 場所は「大阪」。「橋の上」で、ラムネを立ったまま飲んだと言う、ただ、それだけのことである。 〈ただごと〉の句の典型といっていい。世の常のこと、普通のことである。 もし、この句の内容を散文で書いたとすれば〈ただごと〉から一歩も出ることはない。 この句を文芸として成立させている最大の条件は、〈五七五〉という定型である。 小説をマラソンにたとえるならば、俳句は相撲である。〈五七五〉という土俵の上で、力士と力士、すなわち、ことばとことばが、ぶつかり合うということになろう。 ことばとことばが衝撃したときに発する火花によって、一瞬、照らし出された世界が、俳句の世界と言うことになろう。 「大阪」は、庶民の街である。生活のエネルギーが満ち満ちている街である。 橋の上で、ラムネを立ったまま飲むという行為は、日常に密着した行為であり、何の衒(てら)いもない行為である。 「大阪」というフレーズと「ラムネ立飲む橋の上」というフレーズが、ぶつかり合うことによって、一瞬、見えてくる世界は〈郷愁〉の世界であり、〈原郷の風景〉である。 〈詠む〉行為と〈読む〉行為は、〈原郷の風景〉を求める営為と言ってもいい。 |
評 者 |
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備 考 |
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