大統領職の放棄
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 16:24 UTC 版)
「アルベルト・フジモリ」の記事における「大統領職の放棄」の解説
つぎにペルーから逃亡を図ったのはフジモリ大統領自身だった。政治的圧力と不安定さの中で、2000年11月13日、ブルネイで開かれたAPEC首脳会議に出席した。 それからクアラルンプールを経由して東京に到着し、その後イベロアメリカ首脳会議のためにパナマへ向かう予定だった。しかし、フジモリは東京に留まり続けた。フジモリはホテルニューオータニに滞在し、「(ペルーの)邪魔になることは望ましいことではない」とAFP通信に語った。 東京から、議会議長にファックスが送られ、正式に大統領職の辞任が発表され、続いて彼の支持者にメッセージが送られた。 私は戻って、私の存在の現状とこの国(ペルー)の移行プロセスへの参加の適切さについて自問し、正式に辞任しなければならないという結論に至った。 このようにして、わたしたちの憲法を熟考している状況が秩序ある移行を可能にする決定的な政治的緩和の段階へと向かう道を開き、とりわけ重要な何かが私たちの経済の強さを保ってゆく。 2000年11月19日 アルベルトフジモリ これは事実上の亡命であった。日本政府は、フジモリ元大統領は日本国籍保持者であるため、日本滞在には何の問題もないとした。
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