大正5年の伝道旅行
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特別集会が終わると、中田は久しぶりに関西方面の旅行をした。途中名古屋に寄り説教をし、鳥取市、島根県松江市を経て、さらに島根県の出雲地方の山奥に、伊藤馨、清水良太郎と一緒に人力車で行った。島根県仁多郡横田町(現・島根県奥出雲町)に着くと、中田を救世軍の隊員が出迎えてくれた。その後、中田は一人備後(広島県)の国境を越えて、庄原市についた。そこで、芝居小屋を借りて伝道集会をした。その後、西城をへて、三次市を通り広島市の婦人集会で語った。 広島市宇品港より四国地方の愛媛県に渡り、露無文治が牧会する愛媛県今治市の今治教会(現・日本基督教団今治教会)で語り、尾道を通り、東京に帰った。5月には有馬温泉での日本伝道隊の年会に出席して、秋山由五郎、米田豊、鈴鹿正一、小出朋治らに会った。そして、神戸市の神戸湊川伝道館で三晩伝道集会を開催し説教を語った。 1916年(大正5年)8月からは、愛知県知多郡における愛知修養会で竹田俊造と共に講師をした。また、9月には東北と北海道を巡回し、帰りに秋田県大館市に立ち寄った。そして、10月2日より開催された山陽秋期修養会では来日中のバックストンと共に講師を務めた。
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