大同江の戦いと平壌城の陥落
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/23 15:50 UTC 版)
「大同江の戦い」の記事における「大同江の戦いと平壌城の陥落」の解説
15日夜半に高彦伯と柳璟令は宗義智の陣営を強襲した。不意を突かれた宗軍は義智の武将の杉村智清(すぎむら としきよ)を失い苦戦したが、義智自ら抜刀し敵兵を数人斬るなどして奮戦し、また朝鮮軍も李宣と任旭景が戦死した。宗軍の兵士が起きて集結し始めると敗走を始めた朝鮮軍の背後に救援に駆け付けた小西行長や黒田長政の軍勢が襲いかかった。朝鮮軍は大敗し、敗走する朝鮮兵は溺死するものが相次いだ。黒田軍はこの戦闘で部将黒田正好(黒田次郎兵衛、長政の従弟(伯母・妙寿尼の子))を矢傷が元で失い、長政自身も朝鮮軍の部将の矢で肘を負傷したが、矢を放ったその部将を自ら打ち取り朝鮮兵を数多斬った。敗走した朝鮮兵は王城灘から歩いて平壌城に入った。 大同江の渡河に困っていた日本軍はこれを見て徒歩で行ける平壌城へのルートを見出すと16日、徒歩で浅瀬の大同江を渡り平壌城を目指した。一方、平壌城の金命元と尹斗寿は夜襲部隊の敗戦を知ると門を開いて兵士と民を避難させ武器は池の中に捨てて、自身らは順安に逃亡した。 日本軍は斥候により朝鮮軍が逃亡したことを知ると平壌城を接収し、立札を立て民を安心させ、その一方で城内の兵糧数十余万石を押収した。
※この「大同江の戦いと平壌城の陥落」の解説は、「大同江の戦い」の解説の一部です。
「大同江の戦いと平壌城の陥落」を含む「大同江の戦い」の記事については、「大同江の戦い」の概要を参照ください。
- 大同江の戦いと平壌城の陥落のページへのリンク